大岩弘平(読み)オオイワ コウヘイ

20世紀日本人名事典 「大岩弘平」の解説

大岩 弘平
オオイワ コウヘイ

明治・大正期の電信電話技術者



生年
慶応1年10月(1865年)

没年
大正15(1926)年10月

出生地
江戸

学歴〔年〕
帝国大学電気科〔明治23年〕卒

経歴
明治23年東京深川電燈会社に入社、24年逓信省技師となり、東京、名古屋仙台広島の各電信電話建築所長を歴任。35年パリ万国電信会議に委員として出席する。36年から大阪通信営理局工務課長を務め、以来大阪の電信電話事業推移の中枢にあり、電信電話技術の権威といわれる。大正13年実業界へ転じ沖電気専務となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大岩弘平」の解説

大岩弘平 おおいわ-こうへい

1865-1926 明治-大正時代の電気通信技術者。
慶応元年10月生まれ。明治24年逓信省にはいり,東京,名古屋などの電信電話建築所長を歴任。35年パリ万国電信会議に出席。大阪通信営理局工務課長をつとめ,大正13年沖電気専務となった。大正15年10月死去。62歳。江戸出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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