仙台(読み)せんだい

精選版 日本国語大辞典 「仙台」の意味・読み・例文・類語

せんだい【仙台】

[1]
[一] 宮城県中部の地名。県庁所在地。市街地は南東流する広瀬川の段丘上にある。古代から水田地帯として開け、国分寺国分尼寺が置かれた。近世初期、伊達政宗の青葉城築城後発展し、千代を仙台に改めた。江戸時代は伊達六二万石の城下町として繁栄。現在、東北地方の行政・文化・商工業の中心都市である。東北大学所在地。林子平、土井晩翠の出身地。杜都(もりのみやこ)と称される。明治二二年(一八八九)市制。平成元年(一九八九)政令指定都市になり、青葉・泉・太白・宮城野・若林の五区を設置。
[二] 明治四年(一八七一)の廃藩置県により設置された県。陸前国の大部分と磐城(いわき)国の一部分とを含む。翌年、宮城県と改称され、同九年磐前(いわさき)県を合わせて現在の県域となる。
[三] 中国、陝西省長安県(現在の西安市)の西山にあった高台。漢の文帝が仙人河上公を慕って築いたものといわれる。〔陳子昂‐春日登金華観詩〕
※雑俳・後の栞(1816)「いつとなふ・溜る仙台泣く米屋」
[補注](一)(一)の語源については広瀬川の水で区切られていた青葉城の北側の付郭が川内(かわうち)と呼ばれていたところから、それが「せんだい」となまったとする説、古く千体観音がこの地にまつられていたところから、千体を「せんだい」と読み、千代と書くようになったとする説、アイヌ語のセンナイ(関門なり、入口なりの川の意)あるいはタイ(林地の意)に由来するとの説などがある。

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デジタル大辞泉 「仙台」の意味・読み・例文・類語

せんだい【仙台】

宮城県中央部の市。県庁所在地。指定都市。江戸時代は伊達だて氏の城下町として繁栄。東北地方の政治・経済・文化・交通の中心地。広瀬川が市街地を貫流し、河岸には東北大学や青葉城(仙台城)趾がある。七夕祭りは東北三大祭りの一。もりの都と称される。人口104.6万(2010)。
[補説]仙台市の5区
青葉区泉区太白区宮城野区若林区

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改訂新版 世界大百科事典 「仙台」の意味・わかりやすい解説

仙台[市] (せんだい)

宮城県中部にある県庁所在都市。1889年市制。89年4月政令指定都市となり,青葉,宮城野,若林,太白(たいはく),泉の5区を置いた。人口104万5986(2010)。奥羽山脈の東側に続く第三紀丘陵の東端,仙台平野仙南平野)の西縁に位置し,市街地主要部は広瀬川の形成した数段の河岸段丘上に展開する。奈良時代,北方の多賀城(現,多賀城市)に陸奥国府と鎮守府が設けられ,仙台には陸奥国分寺および国分尼寺が建立された。近世初め,伊達政宗が青葉城を築いて以来,伊達氏の城下町として繁栄した。1871年の廃藩置県後,仙台は仙台県,次いで宮城県の県庁所在地となり,軍事,教育,司法などの諸施設が設置された。87年の日本鉄道(現,JR東北本線)の開通などにより,人口はしだいに増加し,また大正から昭和にかけて近代工場の設立も進んだ。第2次大戦の戦災により市の中心部を消失したが,1957年の仙塩地域の総合開発特定地域への指定,64年の仙台湾地区の新産業都市への指定を契機に,仙台市は地域開発の拠点および東北地方の中核都市へと発展した。一方,78年6月の宮城県沖地震は,現代都市のもつもろさを浮彫りにした。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明884人,全壊住宅1万2200戸にのぼった。

 仙台市の産業別就業人口比(1990)は,第1次産業1.9%,第2次産業20.5%,第3次産業77%で典型的な消費都市といえる。また事業所数では第3次産業は全体の約9割を占め,そのうち卸売業の年間販売額も東北地方の都市では群を抜いている。製造業の年間出荷額(1995)は約9300億円で県の25%を占め,食料品,出版印刷などを主とする軽工業が約3割,石油・石炭製品,鉄鋼,金属製品,電気機器などの重化学工業は約7割となっている。仙台市の第3次産業人口が多い要因の一つに学校,官公庁,事業所の集中があげられる。東北大学,東北学院大学など12の大学(2008現在,10大学),短期大学や研究所,各種文化施設が集積し,国や公共企業体の出先機関,東京に本社をもつ企業も多数進出し,その多くが東北6県を管轄する。東北新幹線(1982開業),東北本線,仙山線,仙石線などの鉄道や,東北自動車道,国道4号,45号,48号線などが通じ,仙台港には遠距離フェリーが,市の南方,岩沼市の仙台空港からは1997年現在18航空路線が開設され(2008年6月現在,16路線),仙台市は東北地方の交通拠点をなす。

 市内には陸奥国分寺跡(史),陸奥国分尼寺跡(史)のほか,大崎八幡神社本殿(国宝)や,東照宮本殿および国分寺薬師堂,政宗の墓所のある瑞鳳寺,青葉城跡など伊達氏ゆかりの史跡が多い。松島の名勝や秋保(あきう)・作並両温泉に近く,蔵王連峰探勝の基地でもある。年中行事としては8月上旬の七夕祭,正月14日の大崎八幡神社の松焚(どんと)祭が名高い。伝統工芸品としては仙台平(ひら),仙台たんす,埋れ木細工などがあげられる。
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陸奥国伊達氏62万石の城下町。1600年(慶長5)伊達政宗によって開かれた。多賀城に近く陸奥国分寺跡があるが,当時は宮城郡荒巻,小田原,南目,小泉,名取郡根岸の5ヵ村入会の原野宮城野であった。旧領主国分盛重の居城千代城を仙台と改め,近世城郭築造に着手した政宗は,1591年(天正19)以来の岩出山からここに居を移した。城は青葉山にあり崖下を広瀬川が流れる。

 1627年(寛永4)政宗の別邸若林城が築かれたのをはじめとして,城郭は17世紀を通じて拡大されている。街郭は大手通りに直交して奥州街道(仙台・松前道)が走り,河岸段丘に制約されながらも一辺60間を原則とする正方形,または間口がこれを超える長方形状に区画され,丁を称する侍屋敷と,町を称する足軽・職人・町人屋敷に区分された。これらと直交する路線は通りと称された。侍屋敷は知行高に応じ間口40~12間に奥行30間,足軽・職人は10~6間に25間で,城まわりに大身侍屋敷,城下中心部の街道筋と大手筋に町屋敷,これを包んで中身侍屋敷,城下はずれに小身の組士足軽屋敷,寺社が配置された。侍屋敷は屋敷並五人組をつくり屋敷奉行により統轄され,侍辻番所121ヵ所,下屋敷定番所4ヵ所があった。町奉行支配下の24ヵ町は伊達氏米沢在城以来の〈御供〉の6譜代町(大町,南町,肴町,立町,柳町,荒町)を頂点に厳重な序列があり,世襲の検断と肝煎が任命され町政にあたった。町々の境に丁切の柵がたち,65ヵ所の辻番所があった。町は6間間口を1軒分とする諸町役を負担した屋敷主を中心にし五人組をつくったが,屋敷内には借屋人を含むより多くの家がある。1668年(寛文8)の屋敷数は侍2521,卒・職人3359,92年(元禄5)の寺社200,1772年(安永1)の町方人口は2万3098人とされるから,仙台城下の人口は数万人あったと推定される。

 城下の商業は年3回の御日市開催を許された9町(6譜代町と国分町,北目町,二日町)が他町に優先し,また町により特定商品専売が認可される形態だったが,1651年(慶安4)御日市は棚銭徴収に改められ,75年(延宝3)惣町に諸品の自由販売が許された。しかし大町を中心とする有力問屋商人は木綿,古手,呉服,小間物,繰綿,薬種を独占する六仲間を結成し,藩も他領からの直仕入を一部の例外を除き町在ともに禁止して保護を加えた。豪商として定住したものには近江商人が多い。中期以降六仲間の特権はしだいに弱体化したが,この制度は幕末まで堅持され,領内産物の発達とともに藩国産方の専売政策と結合し,また為替組,融通組に編成されるなど,商業統制のてことなり藩財政の資金源としての役割を果たすものが多かった。
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普及版 字通 「仙台」の読み・字形・画数・意味

【仙台】せんだい

尚書省。

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デジタル大辞泉プラス 「仙台」の解説

仙台

宮城県仙台市で生産される葉物野菜。西洋種と在来種のホウレンソウの交雑種で、明治期から栽培されている。

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