日本歴史地名大系 「大島保」の解説 大島保おおしまほ 岡山県:笠岡市大島保現笠岡市大島中(おおしまなか)・西大島(にしおおしま)を遺称地とし、領域は東隣する現浅口(あさくち)郡寄島(よりしま)町に及んでいたと考えられる。「和名抄」に載る浅口郡大島郷の郷名を継いだものか。正安四年(一三〇二)頃の室町院所領目録(八代恒治氏所蔵文書)に六条院領として「備中国大島保」とみえ、別筆で「御別相伝 定秋 経秀」と注記される。永和五年(一三七九)三月、治部卿忍乗(町経量)は「大嶋保四分一」などを孫の讃岐前司定宣に譲った。譲状(写、鹿王院文書)の異筆の袖書には室町女院より忍乗が拝領したとあり、忍乗は預所、室町院は本所であったと考えられる。室町院領は乾元元年(一三〇二)持明院統と大覚寺統に二分されたが、当保は持明院統に伝領された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by