大幡庄(読み)おおはたのしよう

日本歴史地名大系 「大幡庄」の解説

大幡庄
おおはたのしよう

摂関家領の庄園。現在の神崎町北東部の大畑おおはた付近と推定され、越知おち谷とよばれる新田しんでん作畑さくはた大畑越知岩屋いわやの地域一帯とみられる。近衛家領の杉原すぎはら(現加美町)と山を隔てて接している。寛元四年(一二四六)八月に書かれた執政所抄(近衛家文書)に大幡庄とみえ、一一月七日の高倉殿御忌日に布施として上品紙三帖が割当てられている。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(同文書)では高陽院領とされ、近衛家が本所として庄務を進退せず一定の得分のみを収取する庄園に分類されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む