日本歴史地名大系 「大平台村」の解説 大平台村おおひらだいむら 神奈川県:足柄下郡箱根町大平台村[現在地名]箱根町大平台箱根七湯(はこねななゆ)道沿いにあり、北端から東端に早(はや)川が流れ、東は塔之沢(とうのさわ)、西は底倉(そこくら)村、南は須雲川(すくもがわ)村と接する。天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉禁制(県史三)に「相模国大ひらたい」とある。同二〇年二月一〇日の安藤隼人置文(相州古文書)によれば、秀吉陣馬の飼料を底倉村に課したところ「郷中之儀ハおいちらされ申、一粒も不持候、大平台之こや堅古に御座候ゆへ」と忌避したために、当村で刈取っている。近世は小田原藩領。「風土記稿」によれば農間稼には炭焼・薪取を行っていたが、後期になると挽物細工に従事するものが増えてきた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by