日本歴史地名大系 「大戸村新田」の解説 大戸村新田おおとむらしんでん 茨城県:結城郡八千代町大戸村新田[現在地名]八千代町大戸新田菅谷(すぎのや)村の根(ね)ノ谷(や)坪の西に所在。北は吉田(よしだ)用水を境に成田(なりた)新田。水口村(みのくちむら)新田(現猿島郡三和町)の名主庄右衛門が明治三年(一八七〇)に若森(わかもり)県役所に提出した文書(諸川小林家文書)に「享保度御検地にて私領水口村持添、無民家新田に御座候処、戸□□(口御)賦原と唱ひ候□(曠)野続之中」とあり、享保一〇年(一七二五)の吉田用水開削直後に開拓され、天明期(一七八一―八九)の浅間山噴火による降灰とそれに続く飢饉によって無民家となり、水口村持添となったことがわかる。その後「世話方不行届」として嘉永三年(一八五〇)に平塚(ひらつか)村名主弥左衛門に譲渡(同文書)し、安政五年(一八五八)頃には同じ理由で武州幸手宿名主善六に譲渡(同文書、天満神社幕裏書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by