大服部村(読み)おおはつとりむら

日本歴史地名大系 「大服部村」の解説

大服部村
おおはつとりむら

[現在地名]遊佐町庄泉しよういずみ

大井だい村の西にあり、西は小服部こはつとり村。「大泉庄三権現縁記」永正三年(一五〇六)の記事に、「服部」は「砂越城主武藤万歳丸殿御分地」とある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高三六二石余。寛永元年庄内高辻帳では高四四七石余。享和三年(一八〇三)には家数二八・人数一三一(「村数家数人高控帳」斎藤文書)庄内要覧によれば免六ツ三分七厘、家数二八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む