機織に従事した大和朝廷の職業部。〈はとり〉ははたおりの約言。その分布は西海道を除く全国にひろがる。分布地の内に713年(和銅6)まで調絹を貢納していなかった武蔵国,および延喜式制まで調絹を貢納しない安房国,佐渡国を含むことから推すと,絹ではなく麻布等植物繊維製品を生産したものと思われる。彼らは首(おびと)姓の地方伴造(とものみやつこ)に統率され,これを中央の服部連(むらじ)が管掌した。《新撰姓氏録》によると摂津神別の服部連は允恭天皇の世に織部司に任じられ諸国の織部を総領したとあり,服部の設定を5世紀代後半と伝える。ほぼこのころと認めてよいであろう。しかし7~8世紀ごろになると服部連の地位は著しく低下し,天武朝の八色の姓(やくさのかばね)の改姓にも漏れ,また698年(文武2)9月,氏上とされた服部連佐射も進広肆(令制の少初位下)という低い冠位しかもたなかった。これは貢調制が発展していくにしたがって,しだいに服部の存在を必要としなくなったことに起因するものであろう。
執筆者:新井 喜久夫
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大化前代の品部(ともべ)の一つ。機織(はたおり)を専業とした部。「はたおりべ」の約。全国的に広く分布し、各地域ごとに連(むらじ)、首(おびと)、造(みやつこ)などの姓(かばね)を有する首長すなわち伴造(とものみやつこ)に率いられたが、これらをさらに中央にあって一元的に統率支配する上級の伴造が服部連であった。服部は朝廷の一般的需要に応ずる製品を貢納したが、そのほか特定の用途に応ずるものとして神服部(かんはとりべ)、殿(との)服部などがあった。伊勢(いせ)の神服部は神宮に奉納する秋冬の神衣(かんみそ)を調製した。服部連が神別氏であることから、服部の技術は日本固有のものと推測されるが、呉(くれ)服部は名のごとく渡来系なので、その技術も大陸のそれであろう。服部の一部は大化以後も拘束され大蔵省織部司(おりべのつかさ)に勤仕した。
[黛 弘道]
織部とも。古代,機織(はたおり)に従事した品部(しなべ)。しかし具体的史料が乏しく,「日本書紀」雄略14年条の,渡来した漢織(あやはとり)・呉織(くれはとり)が飛鳥衣縫部(きぬぬいべ)・伊勢衣縫の始祖になったという伝承などとの関係も不明。「新撰姓氏録」には摂津国神別の服部連(むらじ)の始祖が允恭(いんぎょう)朝に織部司に任用され,諸国の織部を管掌したという伝承がある。律令時代には服部を姓とする人々や服部郷・服織郷が諸国に実在し,大蔵省織部司には品部の呉服部7戸がみえる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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