大柳辺村(読み)おおやなべむら

日本歴史地名大系 「大柳辺村」の解説

大柳辺村
おおやなべむら

[現在地名]青森市野沢のざわ

野沢村よりあら川をさかのぼった山村。「新撰陸奥国誌」に「背山勢屏障の如く、村前に荒川流れ、水田はなはた少く、山畑を耕し、余隙山樵を事と」するとある。

貞享四年(一六八七)検地帳に、田方一反二畝二四歩、畑方四反七畝一二歩、田畑屋敷合せて六反六歩、村高四・二一三石と記され、しかも上田三畝四歩、上畑二反一〇歩のほかは、すべて下々田九畝二〇歩と屋敷地に格付けされている。「分米難付」畑四町八反一二歩や漆木五一八本も記される。元禄三年(一六九〇)には浦町組に属し、村位は中である(平山日記)。天保五年(一八三四)の郷村帳によれば文化九年(一八一二)検地の結果高八・七石とあり、貞享四年の検地帳にみえる空地二町五反五畝九歩、永荒田畑二反五畝一〇歩が開発されたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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