大横川(読み)おおよこがわ

日本歴史地名大系 「大横川」の解説

大横川
おおよこがわ

業平なりひら一丁目と吾妻橋あづまばし三丁目の間で北十間きたじつけん川から分れて南下し、たて川・小名木おなぎ川・仙台堀せんだいぼり川と交差し、江東区木場きば五丁目で西へ折回し同区永代えいたい一丁目で隅田川へ流入する運河開削は万治年間(一六五八―六一)で、江戸時代には源森げんもり(現北十間川)の築留堤の南、業平橋辺りから、南の石島いしじま(現江東区)大栄だいえい橋跡までを称し、橋跡の南で二十間にじつけん(現仙台堀川)に合流していた。全長約一里、川幅二〇間。横川とも称した(風土記稿)竪川に対して横川と名付けられたという。小名木川合流地点から二十間川合流地点までは、元禄八年(一六九五、乙亥年)に開削されたためノ堀とも通称された(御府内備考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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