日本大百科全書(ニッポニカ) 「大栄」の意味・わかりやすい解説
大栄(鳥取県)
だいえい
鳥取県中央部、東伯郡(とうはくぐん)にあった旧町名(大栄町(ちょう))。現在は北栄町(ほくえいちょう)の西部を占める地区。旧大栄町は1955年(昭和30)大誠(たいせい)、栄(さかえ)の2村が合併して成立。1959年由良(ゆら)町と合併。2005年(平成17)10月北条町(ほうじょうちょう)と合併し、北栄町となる。JR山陰本線、国道9号が通じる。北は日本海に臨み、南部は大山東麓(だいせんとうろく)の丘陵地。北流する由良川中流域の六尾(むつお)、島(しま)はかつては沼沢地であったが、江戸中期の干拓で水田化した。河口の由良は江戸時代に鳥取藩の藩倉が置かれ、港町として発達した。1863年(文久3)築造の鳥取藩の由良台場跡(国指定史跡)を残す。六尾には幕末に瀬戸(せと)の大庄屋(おおじょうや)武信(たけのぶ)一家が築いた反射炉跡がある。北条砂丘は人工灌漑(かんがい)による砂丘ナガイモや葉タバコ、ブドウの集団産地で、南部の畑地帯は大栄スイカの栽培中心地。東高尾(ひがしたかお)の観音寺(かんのんじ)には千手観音立像、十一面観音立像(ともに国の重要文化財)のほか多くの仏像を蔵する。
[岩永 實]
『『大栄町誌』(1980・大栄町)』
大栄(千葉県)
たいえい
千葉県北部、下総(しもうさ)台地上の香取郡(かとりぐん)にあった旧町名(大栄町(まち))。現在は成田市(なりたし)の北東部を占める地域。1955年(昭和30)昭栄(しょうえい)村と大須賀(おおすが)村が合併して町制施行。2006年(平成18)成田市に編入。地名は旧村から一字ずつとった合成地名である。旧町域は台地を大須賀川が刻み、畑地と水田が展開する。国道51号が町を横断するほか、東関東自動車道の大栄インターチェンジがある。国道51号から東総有料道路が発して香取市方面と結ぶ。中世、千葉氏の一族大須賀氏が松子(まつこ)城を築いたが、江戸時代に佐倉藩堀田(ほった)氏の領地と旗本領、町与力の給知が錯綜(さくそう)し、6~7給に及ぶ村もあった。南半分は幕府の放牧地・矢作牧(やはぎまぎ)であり、十余三(とよみ)地区は明治末期に開拓された。農業就業者が過半数を占め、野菜・いも類の栽培、米作、養豚などの複合経営が行われる。南西部は成田国際空港に接するため、臨空型の工業団地が造成され、空港関連の企業が進出している。吉岡の大慈恩寺を中心とする森林は歴史の森公園となっており、同寺の梵鐘(ぼんしょう)と宝物類73点は県指定有形文化財。
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