吾妻橋(読み)アズマバシ

デジタル大辞泉 「吾妻橋」の意味・読み・例文・類語

あずま‐ばし〔あづま‐〕【吾妻橋】

隅田川に架かる橋の一。東京都台東浅草墨田区向島とを結ぶ。安永3年(1774)に初めて架けられ、大川橋ともよばれた。

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精選版 日本国語大辞典 「吾妻橋」の意味・読み・例文・類語

あずま‐ばしあづま‥【吾妻橋】

  1. [ 一 ] 東京都隅田川にかかる橋。江戸から東へ通じる意の東橋から変わった。墨田区と台東区浅草を結ぶ。最初のものは安永三年(一七七四架橋旧名新大橋、大川橋。
    1. [初出の実例]「新大橋は、一名あづま橋とも云」(出典:随筆・兎園小説余録(1829‐32)一)
  2. [ 二 ] [ 一 ]の墨田区側にある地名

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日本歴史地名大系 「吾妻橋」の解説

吾妻橋
あづまばし

雷門かみなりもん二丁目・花川戸はなかわど一丁目の間と墨田区吾妻橋一丁目とを結んで架けられた隅田川の橋。永代えいたい橋・新大しんおお橋・両国橋・千住大橋と並んで江戸時代大川(隅田川)に架けられた五大橋の一つ。五大橋のうちでは最後に架設されたもので、安永三年(一七七四)竹町たけちよう渡の上流に浅草花川戸町家主伊右衛門と下谷竜泉寺したやりゆうせんじ町家主源八の出願によって、この両名を請負として架けられた。棟梁京橋南塗師きようばしみなみぬし(現中央区)の大工金兵衛、規模は長さ八四間・幅三間半・行桁二三間、橋杭八四本。同年一〇月一七日に竣工し、同日渡り初めが行われた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「吾妻橋」の意味・わかりやすい解説

吾妻橋
あづまばし

東京都墨田(すみだ)区吾妻橋と、台東(たいとう)区浅草(あさくさ)の間の隅田川に架かる橋、また墨田区西部の一地区名。吾妻橋1~3丁目からなる。橋は1774年(安永3)に初めて架けられ、大川橋と称した。1885年(明治18)の大洪水で、それまでの木橋が流失し、1887年鉄橋となる。しかし、床が板張りであったため、関東大震災のとき大惨事を招いた。現在の橋は1931年(昭和6)の竣工(しゅんこう)で、長さ150メートル、幅20メートル。なお、浅草側には隅田公園水上バス遊覧船)乗り場がある。

[菊池万雄]


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世界大百科事典(旧版)内の吾妻橋の言及

【隅田川】より

…古くは住田川,角田川,墨田川とも書き,須田(すだ)川,あすだ川,染田川,浅草川,宮戸(都)川とも呼ばれた。近世,今の吾妻(あづま)橋から下流は大川の名で親しまれた。上流は古くは,入間(いるま)川を幹川としていたが,寛永年間(1624‐44)に現在の熊谷市久下で荒川の瀬替えが行われ,河道が入間川に移され,隅田川は荒川下流の本流となった。…

※「吾妻橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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