大江嘉言(読み)おおえのよしとき

朝日日本歴史人物事典 「大江嘉言」の解説

大江嘉言

没年寛弘7?(1010)
生年:生年不詳
平安時代の歌人。仲宣の子。文章博士以言の弟。父や兄と共に一時弓削姓を称したがのちに復姓文章生出身で,弾正少忠などを経て対馬守となり任地で没した。藤原長能,能因などと親しく,安法の住む河原院にも出入りした。『拾遺集』以降の変革期に新しい風情を求めた歌人のひとりで,その歌には,文章道出身の大江家の人にふさわしく漢詩の表現をあらたに取り入れたものも多い。『拾遺集』以下の勅撰集に入集。家集『大江嘉言集』がある。<参考文献>福井迪子『一条朝文壇の研究』,川村晃生「大江嘉言の和歌」(『国語国文学』1982年7月号),同「大江嘉言の和歌追考」(『和歌文学研究』47号)

(山本登朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大江嘉言」の解説

大江嘉言 おおえの-よしとき

?-? 平安時代中期の歌人。
大江仲宣(なかのぶ)の子。文章生(もんじょうしょう),弾正少忠をへて寛弘(かんこう)6年(1009)対馬守(つしまのかみ)となり,7年ごろ任地で死去した。中古三十六歌仙のひとりで,東宮帯刀陣(たちはきのじん)歌合などに参加。「拾遺和歌集」などの勅撰集に29首がえらばれている。一時,弓削(ゆげ)を名のった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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