天皇または上皇の命令により,撰者が指名され,組織的な詩集,歌集として編集,奏上された漢詩集,和歌集をいう。古代中国では古くから勅命によって撰じられたものがあり,現存のものでは唐代の《初学記》《五経正義》などがある。日本でも奈良時代の《日本書紀》や平安初期の《令義解(りようのぎげ)》などがそれである。ただし,〈勅撰集〉ととくに称されるのは,あとに述べるような漢詩集や和歌集の場合である。勅撰漢詩集は,漢風謳歌の時代といわれる平安初期に,勅撰三集と総称される三つの集が編まれた。《凌雲新集》(《凌雲集》)1巻(814)は782年(延暦1)から33年間の作品をまとめた近代詞華集で,次いでこの集に漏れたものを含めて《文華秀麗集》3巻(818)が成り,さらに,707年(慶雲4)から約120年間の178人の作者,1000編余の作品を集めて《経国集》20巻(827)が王朝漢文学の一大集成として成った。王朝漢文学は,貞観~寛平期(859-898)に黄金時代を迎えるが,なぜかそれ以後勅撰詩集は撰進されず,その役割を勅撰和歌集に譲る。
勅撰和歌集は,四季・恋を中核とする形態・組織と王朝的歌風とを確立した《古今和歌集》に始まり,中世後期の《新続(しんしよく)古今和歌集》で終わる。《古今和歌集》(905),《後撰和歌集》(955推定),《拾遺和歌集》(1005~06推定)と続いてのち,《後拾遺和歌集》(1086),《金葉和歌集》(1126-27),《詞華和歌集》(1151推定)と続く。中世に入って《千載和歌集》(1188),《新古今和歌集》(1205)が成る。以後《新勅撰和歌集》(1235),《続後撰和歌集》(1251),《続古今和歌集》(1265),《続拾遺和歌集》(1278),《新後撰和歌集》(1303),《玉葉和歌集》(1312),《続千載和歌集》(1320),《続後拾遺和歌集》(1326),《風雅和歌集》(1349),《新千載和歌集》(1359),《新拾遺和歌集》(1364),《新後拾遺和歌集》(1384)そして《新続古今和歌集》(1439)に至る。〈読人知らず〉を除いて約3000人の作者,約3万5000首を収めた大詞華集群である。《古今集》《後撰集》《拾遺集》を三代集,《古今集》から《新古今集》までを八代集,《新勅撰集》から《新続古今集》までを十三代集,すべてを合わせて二十一代集という。
執筆者:新井 栄蔵
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