平安中期の3番目の勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻。撰者は不詳であるが、花山院(かざんいん)とする説が有力。私撰集である十巻本の『拾遺抄』との関係は複雑を極め、その成立の先後が問題とされるが、「抄」を増補した「集」は1005~1007年(寛弘2~4)に成立したことが確実視されている。
歌数は1351首(流布本)、春、夏、秋、冬、賀、別、物名(もののな)、雑(ぞう)上・下、神楽歌(かぐらうた)、恋1~5、雑春、雑秋、雑賀、雑恋、哀傷の諸部立(ぶだて)からなり、基本的には「抄」の構造を受けている。主要歌人は紀貫之(きのつらゆき)113首、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)104首、大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)59首、清原元輔(きよはらのもとすけ)46首、平兼盛(かねもり)38首、藤原輔相(すけみ)37首、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)34首、源順(したごう)37首、伊勢(いせ)25首、恵慶(えぎょう)16首、村上(むらかみ)天皇16首、藤原公任(きんとう)15首などであり、人麻呂を除けば、『古今集』以下の三代集時代の有力歌人を網羅した観がある。採録された歌の内容は、私的な褻(け)の歌を重んじた『後撰集(ごせんしゅう)』とは対照的に屏風歌(びょうぶうた)などの晴(はれ)の歌が多くなっている。そのほか、贈答歌の大幅な減少、物名・神楽歌の復活、旋頭歌(せどうか)・長歌の採択などからすると、総じて『古今集』の伝統にふたたび立ち返ろうとする姿勢を認めることができる。「春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞(かす)みて今朝は見ゆらむ」(春上・壬生忠岑(みぶのただみね))の歌にみられるように歌風は一般に平淡優美であり、調べのなだらかな作が多い。
[平田喜信]
『片桐洋一著『拾遺和歌集の研究 校本篇・研究篇』『拾遺和歌集の研究 索引篇』(1970、1976・大学堂書店)』
〈三代集〉の一つとして第3番目の勅撰和歌集。《拾遺集》と略称する。撰者は明らかでないが,花山院(花山天皇)が藤原長能(ながよし),源道済(みちなり)ら近臣の歌人たちの助力を得て撰集したものか。成立年時も明確でなく,1007年(寛弘4)までに成ったと推定され,花山院晩年の和歌愛好の産物らしい。平安時代では《拾遺集》より《拾遺抄》のほうが重視され流布していたために,両者の先後関係をめぐって古来論じられてきたが,《抄》の所収歌すべてを含み増補発展させて《集》が成ったとする考えが近時有力である。《抄》の10巻571首(島根大学本)に対して,《集》は20巻1351首(天福本)となる。部立は春,夏,秋,冬,賀,別,物名,雑上,雑下,神楽歌,恋一~恋五,雑春,雑秋,雑賀,雑恋,哀傷である。〈雑春〉〈雑秋〉など新しい部立を設け,恋歌に比重が大きく,屛風歌や歌会歌などの晴の歌を中心とする。主要歌人は紀貫之113首,柿本人麻呂104首,大中臣能宣59首,清原元輔46首,平兼盛38首,藤原輔相(すけみ)37首など。歌風は古今調の系列にありながら,調和的な優美平淡さとほのかな余情とが指摘されている。
執筆者:藤岡 忠美
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第3番目の勅撰集。花山法皇の撰か。周辺の歌人たちの関与も考えられる。1006年(寛弘3)前後の成立。「拾遺抄」を増補してなったとみるのが通説。1350首ほどを収め,四季・賀・別・物名・雑上下・神楽(かぐら)歌・恋1~5・雑春・雑秋・雑賀・雑恋・哀傷の20巻。収録の多い順に紀貫之(つらゆき)・柿本人麻呂・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔(もとすけ)で,なかでも人麻呂の評価が高い。晴の歌・恋歌が多いことも特徴。「新日本古典文学大系」所収。
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