日本歴史地名大系 「大沢田村」の解説 大沢田村おおさわだむら 青森県:十和田市大沢田村[現在地名]十和田市大沢田東流する砂土路(さどろ)川の北側平地に位置する。東は大浦(おおうら)村、北は新館(にいだて)村(ともに現上北郡上北町)、東南は八斗沢(はつとざわ)村、西は馬洗場(うまあらいば)村に接する。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に高一五九・三石余、郡分郷村高九九・九石、給分四〇石とあり、馬一四三疋を飼養。家数九一、うち本村四八、支村の小大沢田村一五、早坂(はやさか)八、大下内(おおしたない)九、牛鍵(うしかぎ)一一。 大沢田村おおさわだむら 栃木県:上都賀郡西方村大沢田村[現在地名]西方村本城(ほんじよう)城(しろ)山の東麓北部を占め、南方は中宿(なかじゆく)村、西は真名子(まなご)村。栃木と日光を結ぶ中世以来の道に沿う。近世初頭、西方藩藤田氏の城下町整備にあたり成立し、西方郷一三ヵ村のなかでは比較的新しい村といわれる(西方記録)。慶安郷帳に村名がみえ、田一七六石余・畑九三石余、武蔵岩槻藩領。のち下総古河藩領を経て、元禄一〇年(一六九七)旗本横山領となり幕末に至る。天保年間(一八三〇―四四)の家数二〇(改革組合村)。西方郷用水の上郷五ヵ村に含まれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by