大津蔵村(読み)おおづくらむら

日本歴史地名大系 「大津蔵村」の解説

大津蔵村
おおづくらむら

[現在地名]長柄町大津倉おおづくら

刑部おさかべ村の南に位置し、一宮いちのみや川が南流する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に大浅倉村とみえ、高三九七石。正保国絵図では大津蔵。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高四九六石余で家数七六、旗本大久保領。同領で幕末に至る。文政五年(一八二二)当村の者が馬の背に荷物を積んで急いでいるところを長柄山ながらやま村の者に差止められ騒動になるが、刑部村などの扱いで鎮守の宮の石段修理を姉崎あねさき(現市原市)の石工に頼み、その道具箱を送り届けようとしたもので賃荷物でないことが判明、内済した(池座家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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