大洲村(読み)おおずむら

日本歴史地名大系 「大洲村」の解説

大洲村
おおずむら

[現在地名]大洲市西大洲にしおおず

ひじ川の支流久米くめ川流域の東南部を占め、沿岸低地と標高一〇〇―二〇〇メートルの丘陵とからなる。村名は、慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多きた郡の項には「大津村 水損所、茅山有、川有」とあるが、村名の大津おおつは万治元年(一六五八)頃、大洲に変更された(北藤録)。大洲藩領。宇和島藩との藩境の村で、村内関谷せきやに大洲藩番所が設けられていた。

元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」に「米・大豆・紫皮・せった・けんぽなし」の土産があり、土地は「平地の分は宜敷多く、山畑はよろしからず、民家難渋者少し」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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