大海池
おおがいいけ
「おおがいけ」ともいう。幕末の三宅村庄屋の「飛嘉恵」(橋本家文書)に、深淵池とともに「慶長五子年より池ニ成」とある。水懸り高六九町余で三宅村の半分の田地を灌漑した。また、堤長五四五間、深さ平均二尺八寸、懸高六九町五反余(一千二一石余)とも記される。「飛嘉恵」によると、延宝六年(一六七八)三宅村には大海池のほかに八つの池があり、反別二六町三反余、高三八三石余を潤していたが、このうち馬場池・十郎ヶ池・菰池・酒蓋池が大海池の子池で、大海池より水を受けていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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