大源寺村
だいげんじむら
[現在地名]高岡市大源寺
小矢部川右岸に位置し、東は射水郡北島村、南は内島村。福田のうち十禅寺に大源寺という寺があったが、北条時頼(氏康とも)が全国行脚の折、破戒僧のいるのに憤慨して佐野源左衛門常世に堂宇を焼かせた。その後を大源寺野といい、のち村名になったという(続高岡史話)。正保郷帳では大源寺分として新田高一九六石、田方一一町・畑方二町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印による草高二二四石・免四ツ七歩、明暦三年(一六五七)から寛文五年の新田高一四石。小物成は鮎川役一匁・鱒役一匁(三箇国高物成帳)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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