日本大百科全書(ニッポニカ) 「大炊御門殿」の意味・わかりやすい解説
大炊御門殿
おおいのみかどどの
平安京の大炊御門大路(現在は京都市中京区)に面した邸宅。大内裏を東西に横切るこの大路のうち、郁芳(いくほう)門(大炊御門)に続く東側では大路に面していくつもの里内裏、院の御所、貴族の大邸宅があり大炊御門殿、大炊殿とよばれたものが多い。おもなものをあげると、(1)大炊御門北東洞院西。藤原基忠(もとただ)邸。1104年(長治1)源国明が造営して白河(しらかわ)上皇御所とし、のちに鳥羽(とば)天皇内裏となる。(2)大炊御門北東洞院東。1112年(天永3)前記御所を解体し、東隣に藤原忠隆(ただたか)が造営、鳥羽天皇内裏となる。(3)大炊御門北富小路西。藤原経宗(つねむね)領。のちに後白河院(ごしらかわいん)領となり、さらに皇女式子(しきし)内親王御所となる。1198年(建久9)以来、土御門(つちみかど)、順徳(じゅんとく)天皇の内裏、後鳥羽(ごとば)、土御門、順徳上皇の御所となった。ほかに藤原師実(もろざね)邸(白河上皇御所、堀河(ほりかわ)天皇内裏)、藤原長実(ながざね)邸(白河法皇御所)、後鳥羽上皇御所、藤原頼長(よりなが)邸などがあった。
[吉田早苗]