大穂町(読み)おおほまち

日本歴史地名大系 「大穂町」の解説

大穂町
おおほまち

面積:三四・〇一平方キロ

筑波町の南に位置。東限を桜川、西限を小貝こかい川とし、東西に長い町域をもつ。町域全体が筑波稲敷つくばいなしき台地上にあり、多くが平地林およびその開発によるローム層の畑で、桜川東岸・小貝川西岸・谷田やた川流域や、小水系域の谷地に水田が集中。

明治二二年(一八八九)四月一日の町村制施行により新治にいはり大曾根おおぞね村・若森わかもり村・村・篠崎しのざき村・前野まえの村・長高野おさごうや村・玉取たまとり村が合併して大曾根村の大と方穂かたほ郷の穂をとって大穂村、筑波郡吉沼よしぬま村・吉沼村五人受よしぬまむらごにんうけ大砂おおすな村・西高野にしごうや村などが合併して吉沼村が成立。

大穂町
おおぶまち

[現在地名]宗像市大穂町

現宗像市の南西部、つり川支流高瀬たかせ川上流域に位置する。大穂村の枝郷で、同村の北にあり、集落はる町に続く唐津街道沿いに形成された。慶長石高帳によると大穂町の慶長九年(一六〇四)の検地高は二一八石余、うち大豆三五石余。元禄五年(一六九二)には高二二五石余、人数一六〇(田圃志)元禄国絵図と天保郷帳には大穂村の枝郷と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報