大立目村(読み)おおだつめむら

日本歴史地名大系 「大立目村」の解説

大立目村
おおだつめむら

[現在地名]保原町大立目

二井田にいだ村の西に位置し、南は泉沢いずみさわ村。東根ひがしね川が南東から北西へ流れる平坦地。天文二四年(一五五五)五月一四日の伊達晴宗のものと推定される安堵状案(伊達家文書)に「につ田のかう」のうち「大たつめふんすハのはらふん田七百かり」などとあり、同地などが「ふくしまいつミのかた」に安堵されている。当地には伊達氏の被官大立目氏がいたとみられ、大立目家譜(保原町史)によれば、永禄二年(一五五九)紀州熊野に参詣、このとき熊野本宮(現和歌山県本宮町)別当が出した証判に「奥州伊達一族大立目下野守朝安当家累世一族臣なり」とある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高二一八石余。近世初期の邑鑑によると免一ツ五分、家数八(役家三・肝煎一・脇家四)、人数二六、役木として桑と楮少しがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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