伊達晴宗(読み)だてはるむね

改訂新版 世界大百科事典 「伊達晴宗」の意味・わかりやすい解説

伊達晴宗 (だてはるむね)
生没年:1519-77(永正16-天正5)

戦国大名出羽米沢城主。伊達稙宗(たねむね)の子。母は蘆名盛高の娘。弟実元の越後上杉氏入嗣問題を契機に父と争い(伊達氏天文の乱),乱後居城を米沢に移した。1553年(天文22)家臣に改めて知行判物(ちぎようはんもつ)を一斉に交付し,権力の集中強化を図った。55年(弘治1)左京大夫,のち奥州探題に任ぜられた。子息輝宗とも不和となったが,のち和解し,1564-65年(永禄7-8)ころ杉目(福島市)に隠退した。
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百科事典マイペディア 「伊達晴宗」の意味・わかりやすい解説

伊達晴宗【だてはるむね】

戦国期の武将陸奥梁川(やながわ)城主伊達稙宗(たねむね)の子。1542年弟実元の越後上杉氏への入嗣に反対して父と争い,奥州諸家を巻き込む争乱となった。乱後,出羽米沢本拠を移し権力の強化を図った。その後奥州探題に任ぜられたが,治世後期には子息輝宗との対立を深め,1564年−1565年ころ杉目(すぎのめ)(現福島市)に隠居した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊達晴宗」の解説

伊達晴宗 だて-はるむね

1519-1578* 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)16年生まれ。伊達稙宗(たねむね)の長男。弟実元の越後(えちご)守護上杉家への入嗣に反対して父とあらそい,洞(うつろ)の乱をひきおこす。のち居城を出羽(でわ)米沢にうつし,奥州探題となった。天文(てんぶん)22年以来権力の集中・強化につとめたが,子の輝宗と対立し,永禄(えいろく)7年ごろ隠居した。天正(てんしょう)5年12月5日死去。59歳。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。初名は次郎。号は道祐。

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