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伊達晴宗 だてはるむね

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百科事典マイペディアの解説

伊達晴宗【だてはるむね】

戦国期の武将。陸奥梁川(やながわ)城主伊達稙宗(たねむね)の子。1542年弟実元の越後上杉氏への入嗣に反対して父と争い,奥州諸家を巻き込む争乱となった。乱後,出羽米沢に本拠を移し権力の強化を図った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊達晴宗 だて-はるむね

1519-1578* 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)16年生まれ。伊達稙宗(たねむね)の長男。弟実元の越後(えちご)守護上杉家への入嗣に反対して父とあらそい,洞(うつろ)の乱をひきおこす。のち居城を出羽(でわ)米沢にうつし,奥州探題となった。天文(てんぶん)22年以来権力の集中・強化につとめたが,子の輝宗と対立し,永禄(えいろく)7年ごろ隠居した。天正(てんしょう)5年12月5日死去。59歳。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。初名は次郎。号は道祐。

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朝日日本歴史人物事典の解説

伊達晴宗

没年:天正5(1577)
生年:永正16(1519)
戦国時代の武将。稙宗の子,母は蘆名盛高の娘,幼名称次郎。従四位下足利義晴から諱の1字をもらい晴宗と名乗る。天文11(1542)年弟実元の越後上杉氏への入嗣に反対し,父稙宗と17年まで兵戈を交えた(天文の乱)。乱後,米沢城に移り,左京大夫,奥州探題に補任され,室町幕府から大名のひとりに認められた。22年『伊達晴宗采地下賜録』を作成して家臣に対する知行判物を再交付し,さらに懸田氏を滅ぼして,家臣団統制,領内支配を強化した。また子どもらを佐竹,岩城,蘆名,留守諸氏に入嗣,入嫁させ勢力を拡大。しかし,永禄7(1564)年ごろまでには杉目城(福島市杉妻町)に隠居。墓は福島氏宝積寺

(伊藤清郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

だてはるむね【伊達晴宗】

1519‐77(永正16‐天正5)
戦国大名。出羽国米沢城主。伊達稙宗(たねむね)の子。母は蘆名盛高の娘。弟実元の越後上杉氏入嗣問題を契機に父と争い(伊達氏天文の乱),乱後居城を米沢に移した。1553年(天文22)家臣に改めて知行判物(ちぎようはんもつ)を一斉に交付し,権力の集中強化を図った。55年(弘治1)左京大夫,のち奥州探題に任ぜられた。子息輝宗とも不和となったが,のち和解し,1564‐65年(永禄7‐8)ころ杉目(福島市)に隠退した。

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