大藤信郎(読み)オオフジ ノブロウ

20世紀日本人名事典 「大藤信郎」の解説

大藤 信郎
オオフジ ノブロウ

大正・昭和期のアニメーション作家



生年
明治33(1900)年6月1日

没年
昭和36(1961)年7月28日

出生地
東京市浅草区千束町

本名
大藤 信七郎

主な受賞名〔年〕
ウルグアイ映画祭入賞〔昭和21年〕「蜘蛛の糸」,カンヌ国際映画祭短編部門2位〔昭和27年〕「くじら」,ベネチア記録映画祭特別賞〔昭和31年〕「幽霊船

経歴
18歳でアニメ作家幸内純一のスミカズ映画社に入り動画を学んだ。大正10年自由映画研究所(のち千代紙映画社)を創設、千代紙によるアニメ「馬具田城の盗賊」「孫悟空物語」などを発表。昭和2年の影絵映画「鯨」、3年の「珍説吉田御殿」はソ連、フランスに輸出され、海外に知られた。5年レコード同調式トーキー「黒猫ニャゴ」、7年フィルム式トーキー「沼の大将」などを作った。その後の経済不況などで振るわず、戦時中は文部省、海軍の委託作品、戦後は日本神話など。27年の「くじら」はカンヌ映画祭でピカソに激賞された。没後母代りの姉八重が毎日映画コンクールに基金寄託、アニメ映画賞「大藤賞」を設置した。他に「こがねの花」、共作「西遊記」「蛛の糸」「天孫降臨」「ガリバー旅行記」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大藤信郎」の解説

大藤信郎 おおふじ-のぶろう

1900-1961 大正-昭和時代のアニメーション作家。
明治33年6月1日生まれ。大正15年千代紙によるアニメ「馬具田城の盗賊」を発表。昭和2年影絵映画「鯨」が海外で評価をうける。31年「幽霊船」でベネチア記録映画祭特別賞。毎日映画コンクールに「大藤賞」がもうけられている。昭和36年7月28日死去。61歳。東京出身。本名は信七郎。作品に「くじら」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大藤信郎の言及

【アニメーション映画】より

…当時《凸坊新画帖》という肩書で公開されたE.コールらの作品の現物を分析して,手探りでそのトリックを解明するところからスタートした。次いで幸内純一門下の大藤信郎の〈千代紙映画〉(《馬具田城の盗賊》1926)が生まれ,やがて洋画,日本画を学びマキノ・プロを経てきた政岡憲三が登場し,《森の妖精》(1935),《べんけいとウシワカ》(1939)などの意欲作を発表するとともに,家内工業スタイルだったこの世界に,近代的な製作スタイルを導入して合理化を進めた。瀬尾光世をチーフ・アニメーターとする政岡映画の製作スタッフが,今日の日本のアニメ製作者の源流を形成したといえる。…

※「大藤信郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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