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盗賊 とうぞく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

盗賊
とうぞく

盗犯の総称。律令では強盗,窃盗の2つに分けた。中世法では窃盗,盗人盗犯などと呼んだが,戦国時代の分国法では盗賊と称し,江戸幕府法では盗賊または盗人と称していた。江戸幕府の『公事方御定書』では窃盗の刑をその態様によって区別し,人家に忍び入り,または土蔵を破って入った者は死罪とし,昼夜の別なく,門戸の開いているところまたは人のいない家に入ってその場にある軽い品を盗んだ者は入墨のうえ (→入墨刑 ) , (たたき) とする。手もとにある品をふと盗んだときは,その品が金なら 10両以上か否か,雑物なら金に見積って 10両以上か否かによって,死罪または入墨のうえ,敲に処せられた。のちには盗賊に入られた者は,その盗賊を殺しても無罪とされた。

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デジタル大辞泉の解説

とう‐ぞく〔タウ‐〕【盗賊】

ぬすびと。泥棒

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世界大百科事典 第2版の解説

とうぞく【盗賊】

他人の財物を略取する者をいう。どろぼう,盗人とも呼ばれるが,それらより凶悪な者を指すことが多い。盗んだ物を貧しい者に分け与える義賊とは異なり,恐れられることが多いが,稀代の大盗賊のなかには,民衆からひそかな喝采(かつさい)をおくられた者も少なくなかったことが知られている。
ヨーロッパ
 ローマ最古の成文法である十二表法の第8表には,夜間盗みを行った者を現場で捕らえたとき,被害者は殺してもさしつかえないという規定があり,盗みに対する制裁措置が過酷であった。

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大辞林 第三版の解説

とうぞく【盗賊】

ぬすびと。また、集団で略奪を行う者。 「 -におそわれる」
盗むこと。 「形ち僧也と云へども、心に-を好む/今昔 20

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

盗賊
とうぞく

人の金銭、財物等を奪い取る賊。盗人(ぬすっと)、泥棒と同一であるが、その仕事を常習し、暴力や脅迫の手段をしばしばとる者をいうことが多い。海をその根拠地とする者を海賊、山の者を山賊、野の者を野盗などとも分ける。往時にあっては洋の東西を問わず、盗賊行為が生存競争の必要強行手段であり、それが倫理上の絶対悪でなかったことを認識しないと、歴史上の盗賊は把握しにくい。権力者の成立には、往々にして盗賊行為の要素が強かったし、またそれに対する反権力の闘争にも同じ行為があり、そのはざまにあって生存を脅かされた民衆の生活にもこの行為があるというように、歴史は盗賊行為に濃く彩られている。[梶 龍雄]

西欧の盗賊

エジプト王朝時代の墳墓であったマスタバ、ピラミッドなどの建立とともに、その財宝が盗賊たちに荒らされ、たまりかねた王が人目につかぬ王家の谷に場所を移したように、盗賊の歴史は古く紀元前にさかのぼる。紀元後5世紀ごろを中心に300年余り栄えた小アジアのイサウラ王国は、盗賊たちのつくった国家といわれ、宮廷から貨幣までをもったといわれている。15~17世紀の商業経済の活発化とともに、騎士の失業が多くなると、彼らは野盗化して都市や農村を荒らし回った。一方、同時におこった海賊横行の世情のなかで、その行為は妥当のこととされ、オランダ、イギリスなどは国勢の争いとして、それに特免状を与えたりした。
 だが一方、実存の地方貴族をモデルにしたといわれるイギリスのロビン・フッドRobin Hoodのような存在もあった。民衆の抑圧意識の解放、巧みな知恵の勝利の快感の実現として、こういった盗賊は義賊といわれ、洋の東西を問わず伝説的な英雄となっている。またフランスのフランソア・ビドックFrancois Vidocq(1775―1857)のように、当局を手こずらせた盗賊兼詐欺師でありながら、その暗黒街の豊富な奸知(かんち)で、ナポレオン治世下の警察の長となった、盗賊と権力の重なる部分で生きた存在もある。盗賊行為が人間の平常生活のなかから分化して絶対悪となり、法や道徳の厳しい追及を受けるようになったのは、近世も新しくなってからで、たとえばイギリスの作家ディケンズの『オリバー・トゥイスト』(1838)などには、まだ貧民の日常が盗賊行為に濃く彩られていることが如実に描かれている。[梶 龍雄]

中国の盗賊

中国においても、古代から盗賊の存在は平常的で、易学のうえなどでは、彼らの跋扈(ばっこ)は自然現象と同じ扱いをしていた。戦乱、失政、自然災害などを原因とする困窮からの集団的盗賊行為色の強い民衆の蜂起(ほうき)は、2世紀末ごろには妖賊(ようぞく)といわれ、これはのちに、白波(はくは)谷に立てこもって活動した黄巾(こうきん)賊となった。王、豪族、英雄なども、部分的に盗賊と重なって区別がつかないことも多く、『三国志』『水滸伝(すいこでん)』は、こういったさまざまの盗賊で彩られている。[梶 龍雄]

日本の盗賊

日本でも昔は盗賊の横行は平常的なもので、寂しい山野などの1人歩きは危険なものであった。平安時代中期の国情疲弊のころには、都にまで盗賊が横行し、そのなかでも名高いのは源頼光(よりみつ)に捕縛されたという袴垂保輔(はかまだれやすすけ)である。この頼光が、丹波(たんば)の大江山に住むという酒呑童子(しゅてんどうじ)という山賊を退治したという伝説もある。源義経(よしつね)に屈伏したという有名な弁慶も、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)という権力を背景にした盗賊的行為の僧である。石川五右衛門とともに盗賊の双璧(そうへき)をなすといわれる12世紀の盗賊熊坂長範(くまさかちょうはん)も、この義経に討たれたといわれる。
 盗賊の狡知(こうち)のなかの優れたものは、現在の忍びの術といわれるものになり、野盗の透波(すっぱ)に受け継がれ、戦国時代にはこの集団の首領風魔(ふうま)小太郎は小田原の北条家と結び付いてゲリラ活動をした。この北条家に仕えた透破出身と思われる神崎甚内、庄司甚内、鳶沢甚内の三盗賊は三甚内といわれている。石川五右衛門も伊賀で忍びの術を学んだといわれ、その神出鬼没ぶりと悪の徹底ぶりが一般民衆の人気をよんで、江戸時代には白井権八(ごんぱち)、日本左衛門、稲葉小僧新助などの盗賊とともに、芝居や講談の主人公となった。また民衆の反権力の意識として、大名の屋敷ばかりをねらい、盗んだ金は貧民に施すという義賊、鼠小僧(ねずみこぞう)次郎吉が当時の人気をよんだが、貧民に金を与えたというのは芝居や講談の脚色で、実際にはその事実はないようである。[梶 龍雄]

盗賊と文芸

盗賊という存在は刺激的な材料だけに、文芸ではさまざまの形で数多く扱われている。歌舞伎(かぶき)、講談、実録では白波(しらなみ)ものとして、数多くの出し物が人気をよんだ。この名は、中国の黄巾賊が白波谷に立てこもったことからつけられたといわれる。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)は『羅生門(らしょうもん)』『偸盗(ちゅうとう)』などにおいて平安時代の盗賊の横行を描いている。また大衆の共感をよぶ義賊の存在は、探偵小説の世界で、作者ルブランのアルセーヌ・ルパンArsne Lupin、チャータリスの聖者(セント)ことサイモン・テンプラーThe Saint Simon Templarなどを生んだ。また、自伝的な著作としては、フランソア・ビドックが書かせた『回想録』Ses Mmoires(1828)、ジャン・ジュネの『泥棒日記』(1949)などがある。[梶 龍雄]
『野尻抱影著『大泥棒紳士館』(1971・工作舎)』

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