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千代紙 ちよがみ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

千代紙
ちよがみ

玩具の一つで,和紙に種々の模様を木版で色刷りした家庭用手芸,手工紙の名称。江戸時代に主として浮世絵師がつくりはじめた。江戸時代後半から明治初期にかけて盛んに行われ,人形の着物とか小箱の細工ものをつくるために用いられた。図柄は,麻の葉鹿の子矢絣,吉原つなぎ,なるみ絞り,黄八丈などの花紋や衣装模様,芝居もの,おもちゃ絵などと種類も多く,なかでも特に,松竹梅鶴亀,宝づくし,寿百種などめでたいものを扱った図案が多かったことで,これを千代紙と呼んだともいわれる。

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デジタル大辞泉の解説

ちよ‐がみ【千代紙】

紙に、花紋など種々の模様を色刷りにしたもの。小箱の表張りや紙人形の衣装などに用いる。初め、京都で鶴亀・松竹梅などを刷ったので千代を祝う意でつけられた名とも、江戸の千代田城大奥で使われたところからの名ともいう。

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百科事典マイペディアの解説

千代紙【ちよがみ】

手芸用模様紙。西の内紙とよばれる和紙に木版手刷りで麻の葉,鹿(か)の子など種々の模様を色刷りしたもの。小箱にはったり,折紙や切紙細工,あるいは姉様人形を作るのに用いる。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちよがみ【千代紙】

和紙に木版手刷りで模様を刷りだしたもの。姉様の着物,小箱,化粧品のたとう袋など女子の細工物に用いられる。日本では,古くは奈良時代より,和歌を書く必要などからさまざまな模様紙が作られてきたが,その一部が発達して千代紙となった。語源については,初期に鶴亀,宝尽しなどめでたい図柄が多かったためという説のほか諸説ある。江戸では京千代紙が早くから売られていたが,明和(1764‐72)以降の錦絵興隆にともない,木版技術が発達し,また浮世絵師たちが競って下絵をかいたため,江戸千代紙が京千代紙を追いこして江戸名物となり,地方へのみやげ物にもなった。

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大辞林 第三版の解説

ちよがみ【千代紙】

〔松竹梅・鶴亀など千代を祝うめでたい図柄が多かったところからという〕
和紙に種々の図柄を木版で色刷りにしたもの。江戸時代に、主として浮世絵師が作り始めたという。人形の着物としたり、小箱に張り合わせたり、女子の細工物に供する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

千代紙
ちよがみ

西の内、地柾(じまさ)などの和紙に、さまざまな模様を木版で色刷りしたもの。手芸材料として小箱に張ったり、紙人形の衣装などに用いられる。江戸時代、奉書に肉筆で模様を描き、定家(ていか)好みなどとよんだものが京都にあった。それが模様紙のおこりといわれる。千代紙は寛政(かんせい)年間(1789~1801)以後錦絵(にしきえ)の興隆に伴って生まれ、江戸の浮世絵師が主として描いた。図柄に松竹梅、宝尽くしなどめでたいものを多く扱ったので千代紙の名がついたという。『大江俊矩(としのり)記』に、「文化(ぶんか)一二年(1815)六月四日、千代紙百枚」とあり、当時この名でよばれたことがわかる。一説には、千代田城の大奥の女性たちが細工紙として使用したので名づけられたともいわれ、奥女中の手芸用品として発達した。また、松平定信(さだのぶ)(楽翁)が、画師谷文晁(たにぶんちょう)に描かせた「楽翁好み」などの典雅な作品もある。江戸末期には広く大衆化されて、図柄も麻の葉、卍(まんじ)つなぎ、鹿(か)の子(こ)などの衣装模様や、芝居、おもちゃ絵など絵草紙の一種として種類も増えた。
 また、女児のもてあそび物となるにしたがい、紙質も三文千代紙とよばれる安価なものが市販され、折り紙や姉様人形の材料となった。明治以降は洋紙を用いるものもある。[斎藤良輔]

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