和紙に木版手刷りで模様を刷りだしたもの。姉様の着物,小箱,化粧品のたとう袋など女子の細工物に用いられる。日本では,古くは奈良時代より,和歌を書く必要などからさまざまな模様紙が作られてきたが,その一部が発達して千代紙となった。語源については,初期に鶴亀,宝尽しなどめでたい図柄が多かったためという説のほか諸説ある。江戸では京千代紙が早くから売られていたが,明和(1764-72)以降の錦絵の興隆にともない,木版技術が発達し,また浮世絵師たちが競って下絵をかいたため,江戸千代紙が京千代紙を追いこして江戸名物となり,地方へのみやげ物にもなった。現在でも千代紙には京千代紙,江戸千代紙の二つの流れがあり,京千代紙にはおとなしい図柄が多いのに比べ,江戸千代紙には自由奔放なものが目だつ。第2次大戦を境に木版手刷り千代紙は急速に姿を消していき,機械刷り千代紙,型染紙,シルクスクリーンを使った模様紙などが,それに代わろうとしている。
執筆者:八木田 宜子
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西の内、地柾(じまさ)などの和紙に、さまざまな模様を木版で色刷りしたもの。手芸材料として小箱に張ったり、紙人形の衣装などに用いられる。江戸時代、奉書に肉筆で模様を描き、定家(ていか)好みなどとよんだものが京都にあった。それが模様紙のおこりといわれる。千代紙は寛政(かんせい)年間(1789~1801)以後錦絵(にしきえ)の興隆に伴って生まれ、江戸の浮世絵師が主として描いた。図柄に松竹梅、宝尽くしなどめでたいものを多く扱ったので千代紙の名がついたという。『大江俊矩(としのり)記』に、「文化(ぶんか)一二年(1815)六月四日、千代紙百枚」とあり、当時この名でよばれたことがわかる。一説には、千代田城の大奥の女性たちが細工紙として使用したので名づけられたともいわれ、奥女中の手芸用品として発達した。また、松平定信(さだのぶ)(楽翁)が、画師谷文晁(たにぶんちょう)に描かせた「楽翁好み」などの典雅な作品もある。江戸末期には広く大衆化されて、図柄も麻の葉、卍(まんじ)つなぎ、鹿(か)の子(こ)などの衣装模様や、芝居、おもちゃ絵など絵草紙の一種として種類も増えた。
また、女児のもてあそび物となるにしたがい、紙質も三文千代紙とよばれる安価なものが市販され、折り紙や姉様人形の材料となった。明治以降は洋紙を用いるものもある。
[斎藤良輔]
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…上京して漱石宅に親しく出入りするようになり,木曜会を提案。07年《千代紙》を刊行。〈一人の女性〉の追憶と憧憬に生きる心情を描く,暗く沈んだロマン性が注目をひいた。…
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