朝日日本歴史人物事典 「大西定林」の解説
大西定林
生年:生年不詳
江戸中期の釜師。通称は五郎左衛門,名は延貞。江戸大西家の祖。京都大西家の2代目五郎左衛門村長(浄清の子。寛永年中(1624~44),古田織部に従い父と共に江戸に下向し,定林は江戸に留まり,江戸大西家を興した。宝永(1704~11)から宝暦(1751~64)の間の『武鑑』には御釜師として「鑓屋町五郎左衛門」とみえ,幕府御用釜師であった。東京国立博物館蔵の井桁釜,からげ釜など変わった形の釜を作ったという。釜以外では正徳2(1712)年の増上寺6代将軍文昭院(徳川家宣)霊廟前の銅灯籠7基,芝泉岳寺の享保4(1719)年銘梵鐘などがある。<参考文献>香取秀真『新撰茶之湯釜図録』,同『江戸鋳師名譜』
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報