朝日日本歴史人物事典 「大谷嘉兵衛」の解説
大谷嘉兵衛
生年:弘化1.12.22(1845.1.29)
明治大正期の横浜の実業家。伊勢国(三重県)飯高郡谷野村の豪農吉兵衛の4男。幼名藤吉のち元吉。文久2(1862)年製茶輸出が急増した横浜に出て,製茶売込商(輸出商)小倉藤兵衛方に勤め,のち小倉家の養子となる。慶応3(1867)年独立してスミス・ベーカー商会に入り,翌明治1(1868)年に自ら製茶売込業を開業,10年代に横浜最大の製茶売込商となった。その間輸出茶の改良を志し,製茶改良会社設立,製茶協同組を組織,横浜茶業組合長,茶業組合中央会議長を務め,28年には日本製茶会社の設立にかかわった。一方,22年横浜市会議員,翌年市会議長となり市政に参与,36年横浜水道局長。32年渡米し,製茶関税撤廃,太平洋海底電線敷設を働きかけた。また第七十四国立銀行,横浜貯蓄銀行取締役・頭取をはじめ横浜倉庫,グランドホテルなどの取締役などを歴任,明治42年から13年間横浜商業会議所会頭を務めた。<参考文献>大谷嘉兵衛翁頌徳会編『大谷嘉兵衛翁伝』,茂出木源太郎編『大谷嘉兵衛翁伝』,『横浜市史』3・4巻
(海野福寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報