大谷 嘉兵衛
オオタニ カヒョウエ
- 肩書
- 貴院議員,横浜商業会議所会頭,産業組合中央会会頭
- 別名
- 幼名=藤吉 元吉
- 生年月日
- 弘化1年12月22日(1844年)
- 出生地
- 伊勢国飯高郡谷野村(三重県)
- 経歴
- 文久2年19歳で横浜に出て、伊勢屋小倉藤兵衛の店で製茶貿易業に従事。のちスミス・ベーカー商会を経て、慶応3年独立、製茶売込業を始め、明治10年代に横浜最大の製茶売込商となった。この間、5年製茶改良会社を設立。17年全国茶業組合を組織、製茶貿易の基礎を築き、31年に米国が設けた製茶輸入関税の撤廃運動に尽力した。23年産業組合中央会議長、32年ニューヨークの万国商業大会日本代表、42年産業組合中央会会頭。一方、日本貿易協会、横浜商業会議所の各会頭を務め、第七十四国立銀行取締役のほか、台湾鉄道、台湾銀行、南満州鉄道、韓国銀行、常磐生命、東洋拓殖、三共、川俣電気会社などの設立に参与。40年および大正7年に貴院議員。また神奈川県議、横浜市会議長などを務めた。
- 受賞
- 黄綬褒章 紺綬褒章 勲三等旭日中綬章
- 没年月日
- 昭和8年2月3日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
大谷 嘉兵衛
オオタニ カヒョウエ
明治・大正期の実業家 横浜商業会議所会頭;産業組合中央会会頭;貴院議員。
- 生年
- 弘化1年12月22日(1845年)
- 没年
- 昭和8(1933)年2月3日
- 出生地
- 伊勢国飯高郡谷野村(三重県)
- 別名
- 幼名=藤吉,元吉
- 主な受賞名〔年〕
- 黄綬褒章,紺綬褒章,勲三等旭日中綬章
- 経歴
- 文久2年19歳で横浜に出て、伊勢屋小倉藤兵衛の店で製茶貿易業に従事。のちスミス・ベーカー商会を経て、慶応3年独立、製茶売込業を始め、明治10年代に横浜最大の製茶売込商となった。この間、5年製茶改良会社を設立。17年全国茶業組合を組織、製茶貿易の基礎を築き、31年に米国が設けた製茶輸入関税の撤廃運動に尽力した。23年産業組合中央会議長、32年ニューヨークの万国商業大会日本代表、42年産業組合中央会会頭。一方、日本貿易協会、横浜商業会議所の各会頭を務め、第七十四国立銀行取締役のほか、台湾鉄道、台湾銀行、南満州鉄道、韓国銀行、常磐生命、東洋拓殖、三共、川俣電気会社などの設立に参与。40年および大正7年に貴院議員。また神奈川県議、横浜市会議長などを務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大谷嘉兵衛
没年:昭和8.2.3(1933)
生年:弘化1.12.22(1845.1.29)
明治大正期の横浜の実業家。伊勢国(三重県)飯高郡谷野村の豪農吉兵衛の4男。幼名藤吉のち元吉。文久2(1862)年製茶輸出が急増した横浜に出て,製茶売込商(輸出商)小倉藤兵衛方に勤め,のち小倉家の養子となる。慶応3(1867)年独立してスミス・ベーカー商会に入り,翌明治1(1868)年に自ら製茶売込業を開業,10年代に横浜最大の製茶売込商となった。その間輸出茶の改良を志し,製茶改良会社設立,製茶協同組を組織,横浜茶業組合長,茶業組合中央会議長を務め,28年には日本製茶会社の設立にかかわった。一方,22年横浜市会議員,翌年市会議長となり市政に参与,36年横浜水道局長。32年渡米し,製茶関税撤廃,太平洋海底電線敷設を働きかけた。また第七十四国立銀行,横浜貯蓄銀行取締役・頭取をはじめ横浜倉庫,グランドホテルなどの取締役などを歴任,明治42年から13年間横浜商業会議所会頭を務めた。<参考文献>大谷嘉兵衛翁頌徳会編『大谷嘉兵衛翁伝』,茂出木源太郎編『大谷嘉兵衛翁伝』,『横浜市史』3・4巻
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
大谷嘉兵衛 おおたに-かへえ
1845*-1933 明治-大正時代の実業家。
弘化(こうか)元年12月22日生まれ。明治元年横浜で製茶貿易をはじめ,17年全国茶業組合をつくる。のち第七十四国立銀行頭取,横浜市会議長,横浜商業会議所会頭など。40年貴族院議員。昭和8年2月3日死去。90歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
大谷 嘉兵衛 (おおたに かひょうえ)
生年月日:1845年12月22日
明治時代;大正時代の実業家
1933年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報