大谷瑩潤(読み)オオタニ エイジュン

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大谷瑩潤」の解説

大谷 瑩潤
オオタニ エイジュン


肩書
衆院議員,参院議員,真宗大谷派(東本願寺)宗務課長,日中友好宗教者懇話会名誉会長

別名
号=桂堂

生年月日
明治23年1月13日

出生地
京都府京都市

学歴
大谷大学華厳学部〔大正5年〕卒

経歴
真宗大谷派(東本願寺)第22世法主・大谷光瑩の十一男。明治43年から死去まで函館大谷派別院浄玄寺住職を務める。大正14年欧米留学、帰国後文部省嘱託、司法省嘱託。真宗大谷派宗務課長、全日本仏教青年会連盟理事長を経て昭和21年愛知2区から衆議院議員に当選、25年全国区から参議院議員に当選した。自民党総務。28年中国人捕虜殉職者慰霊実行委員会委員長。安保条約改定時の35年、中国敵視の条約として自民党を脱党。東京自立会長、大潤会長、横浜修道会長、安立園総裁、東本願寺連枝、函館大谷女学校名誉校長、日中友好宗教者懇話会名誉会長などを歴任した。平成12年強制連行された中国人の遺骨送還に尽力した功績を称え、真宗大谷派と中国仏教協会との共同で中国山西省交城県の玄中寺に顕彰碑が建立された。

没年月日
昭和48年5月23日

家族
父=大谷 光瑩(真宗大谷派第22世法主・伯爵) 兄=大谷 光演(真宗大谷派第23世法主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大谷瑩潤」の解説

大谷 瑩潤
オオタニ エイジュン

大正・昭和期の僧侶,政治家 真宗大谷派(東本願寺)宗務課長;衆院議員;参院議員;日中友好宗教者懇話会名誉会長。



生年
明治23(1890)年1月13日

没年
昭和48(1973)年5月23日

出生地
京都府京都市

別名
号=桂堂

学歴〔年〕
大谷大学華厳学部〔大正5年〕卒

経歴
真宗大谷派(東本願寺)第22世法主・大谷光瑩の十一男。明治43年から死去まで函館大谷派別院浄玄寺住職を務める。大正14年欧米留学、帰国後文部省嘱託、司法省嘱託。真宗大谷派宗務課長、全日本仏教青年会連盟理事長を経て昭和21年愛知2区から衆議院議員に当選、25年全国区から参議院議員に当選した。自民党総務。28年中国人捕虜殉職者慰霊実行委員会委員長。安保条約改定時の35年、中国敵視の条約として自民党を脱党。東京自立会長、大潤会長、横浜修道会長、安立園総裁、東本願寺連枝、函館大谷女学校名誉校長、日中友好宗教者懇話会名誉会長などを歴任した。平成12年強制連行された中国人の遺骨送還に尽力した功績を称え、真宗大谷派と中国仏教協会との共同で中国山西省交城県の玄中寺に顕彰碑が建立された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷瑩潤」の解説

大谷瑩潤 おおたに-えいじゅん

1890-1973 大正-昭和時代の僧,政治家。
明治23年1月13日生まれ。大谷光瑩の11男。真宗大谷派函館別院住職。同派宗務課長,全日本仏教青年会連盟理事長などをつとめる。昭和21年衆議院議員,25年参議院議員(当選2回),自由党総務。中国人捕虜殉職者慰霊実行委員長。昭和48年5月23日死去。83歳。京都出身。真宗大谷大卒。号は桂堂。著作に「蓮如上人」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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