日本歴史地名大系 「大貞村」の解説 大貞村おおさだむら 大分県:中津市大貞村[現在地名]中津市大貞薦(こも)神社鳥居前の村。西は永添(ながそい)村、南は御澄(みすみ)池。小倉藩元和人畜改帳には高一〇〇石(社領六七石・社人知行三〇石・灯明田三石)、家数一四(うち百姓六・名子一・社僧二)・人数二六、牛五・馬一とあり、薦神社へ寄進した一〇〇石の地を大貞村としたものである。元和二年(一六一六)の細川忠興寄進状(薦神社文書)に「大貞御社江豊前国下毛郡大貞村一識(職)、以大語法之内百石奉寄進了」とあり、当時社僧として上修(じようしゆう)院(七石)、南(みなみ)坊(三石)のみが神社維持にあたっていて、大宮司・大語法・中野・東の神官と北(きた)坊・神宮寺・成就(じようじゆ)坊・新坊等は黒田氏の焼打ち後再興されていなかった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by