大野丘(読み)おおののおか

日本歴史地名大系 「大野丘」の解説

大野丘
おおののおか

「日本書紀」敏達天皇一四年春二月一五日条に「蘇我大臣馬子宿禰、塔を大野丘の北に起てて、大会の設斎す。即ち達等が前に獲たる舎利を以て、塔の柱頭に蔵む」とある。この後まもなく諸国疫疾が流行したので、物部守屋らはこれを蘇我氏崇仏の結果であるとして三月三〇日塔は倒されて焼かれたという。「大和志」以来、和田わだ(現橿原市和田町)の字トノン田(「西国名所図会」には「塔の田」とある)の水田中に残る土壇すなわち礎石と、飛鳥白鳳時代古瓦が出土した地を大野丘にあててきた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む