奈良県高市郡明日香村にあった古代寺院。浄土真宗の広厳(向原)(こうげん)寺がその後身と伝える。建興寺とも称し,飛鳥寺(法興寺)と並ぶ日本最古の寺院。縁起は《元興寺(がんごうじ)伽藍縁起幷流記(るき)資財帳》に取り込まれているが,それによれば,538年に百済から仏像が渡ってくると蘇我稲目(そがのいなめ)の建言で牟久原(向原)(むくはら)の宮に安置され,582年に桜井の道場に移って司馬達等(しばたつと)の娘善信ら3人の尼が住んだが,ついで593年(推古1)に推古天皇は,桜井の道場を聖徳太子に造営をゆだね,等由良(とゆら)宮を寺となして等由良(豊浦)寺と号したという。686年(朱鳥1)には天武天皇追善の法要が営まれ,また763年(天平宝字7)には50戸の封戸(ふこ)を施入されるなど,かなり栄えていたようだが,平安時代に入ると,882年(元慶6)別当の義済と稲目の子孫である宗岳(そが)木村とが別当の地位を争ったことが文献に見えるだけで,その後はしだいに衰えた。
執筆者:中井 真孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある太子山(たいしざん)向原寺(こうげんじ)の通称。浄土真宗本願寺派に属する。欽明(きんめい)天皇のとき百済(くだら)から献じた仏像、経巻を蘇我稲目(そがのいなめ)が受けて小墾田(おはりだ)の家に安置し、のち向原(むくはら)の家を寺として移したのに始まるという。これが日本最初の寺院であるところから元興寺(がんごうじ)(建興寺)とよばれ、また所在地の地名から向原(むくはら)寺、小墾田寺、桜井寺ともよばれた。590年(崇峻天皇3)善信尼らが百済から帰って桜井に移されていた本寺に住し、593年(推古天皇1)には等由良(とゆら)宮(豊浦宮)を移してその地に金堂などを造営したので豊浦寺とよばれた。
710年(和銅3)平城遷都とともに元興寺も平城京に移され、この地が衰えるとともにほとんど廃絶したが、江戸時代に旧跡に一堂を建て、向原寺の字音にちなんで広厳寺と称したが、現在向原寺と称している。
[若林隆光]
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