豊浦宮(読み)トユラノミヤ

デジタル大辞泉 「豊浦宮」の意味・読み・例文・類語

とゆら‐の‐みや【豊浦宮】

奈良県高市郡明日香村豊浦にあったとされる推古天皇皇居

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精選版 日本国語大辞典 「豊浦宮」の意味・読み・例文・類語

とゆら‐の‐みや【豊浦宮】

  1. 奈良県高市郡明日香村豊浦にあったといわれる推古天皇の皇居。即位から小墾田(おはりだ)宮に移るまで約一〇年間の皇居。

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日本歴史地名大系 「豊浦宮」の解説

豊浦宮
とゆらのみや

[現在地名]明日香村大字豊浦

飛鳥川左岸、豊浦とようら集落の内に比定される。推古天皇の皇居。「日本書紀」推古天皇即位前紀壬子年一二月八日条に「皇后、豊浦宮に即天皇位す」とあり、元興寺伽藍縁起並流記資財帳に「(桜カ)井等由羅宮」とみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊浦宮」の意味・わかりやすい解説

豊浦宮
とゆらのみや

奈良県明日香(あすか)村豊浦付近にあったと推定される推古(すいこ)天皇の宮室。592年(崇峻天皇5)12月、豊浦宮に即位した推古天皇は、以後2世紀にわたって頻出する女帝の最初であり、豊浦宮は藤原京遷都までの約1世紀間、宮都が飛鳥(あすか)に集中する端緒となった。668年(天智天皇7)につくられた船氏王後(ふなしおうご)墓誌は、推古天皇を「等由羅宮(とゆらのみや)治天下天皇」と記す。『日本書紀』は、豊浦宮から小墾田宮(おはりだのみや)へ遷(うつ)った年を603年(推古天皇11)とするが、『元興寺縁起並流記資財帳(がんごうじえんぎならびにるきしざいちょう)』は等由良宮(とゆらのみや)を施入して等由良寺とした年を593年(推古天皇1)のこととしている。豊浦の現向原(こうげん)寺とその付近からは、豊浦寺の飛鳥時代創建基壇建物のほか、その下層から周囲に玉石敷やバラス敷を伴う掘立て柱建物が発掘されている。

[中尾芳治]

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世界大百科事典(旧版)内の豊浦宮の言及

【小墾田宮】より

…603年(推古11)10月,推古天皇は,豊浦宮より小墾田宮に移る。そして,628年(推古36)3月に没するまでの間,この小墾田宮が推古朝政治の舞台となった。…

※「豊浦宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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