日本大百科全書(ニッポニカ) 「大須事件」の意味・わかりやすい解説
大須事件
おおすじけん
メーデー事件(東京)、吹田(すいた)事件(大阪)と並ぶ戦後三大騒乱事件の一つ。1952年(昭和27)7月7日名古屋市大須球場で開かれた中ソ訪問議員歓迎報告集会後、約3000人がデモ行進に移ったが、わずか5分後、警官隊は拳銃(けんじゅう)発射を含む実力行使でデモ隊を解散させ、デモ隊は死者1人のほか多数の重軽傷者を出した。その後、名古屋地検はデモ行進に対し騒乱罪(騒擾(そうじょう)罪)を適用、翌53年末までに150人を起訴した。以降「デモ行進の自由を守れ」と支援運動が進められるが、69年名古屋地裁は被告99人に対し騒乱罪有罪判決、75年二審もこれを支持、78年最高裁の控訴棄却により判決が確定した。三大事件中唯一騒乱罪有罪となった事件であるが、26年に及ぶ史上まれな長期裁判の間、署名180万、支援カンパ3億円という大衆的裁判闘争が展開された。
[荒川章二]
『関根庄一著『被告――大須事件の二十六年』(1978・労働旬報社)』▽『田中二郎他編『戦後政治裁判史録 第2巻』(1980・第一法規出版)』