吹田(読み)スイタ

百科事典マイペディアの解説

吹田【すいた】

摂津国島下(しましも)郡南端の地名で,南は神崎(かんざき)川を挟んで同国西成(にしなり)郡。現在の大阪府吹田市南端部にあたり,いま市名に継承されている。水田とも書き,平安時代から淀川筋の水上交通の一拠点。神崎川は古名を三国(みくに)川といい,7世紀末ないし8世紀初めには淀川から独立した水系となっていたが,8世紀末に淀川と連結する開削工事が行われ,以降港津として発展,《更級日記》などに関連記事がみえる。鎌倉時代,吹田はますます重要な位置を占め,方違(かたたがえ)の場として貴族の日記に散見,また風光明媚なことから別業(なりどころ)も営まれた。なかでも著名なのは西園寺公経(きんつね)の山荘で,公経はたびたび有馬(ありま)湯(現,神戸市兵庫区)から湯を運ばせて湯浴みしている。この山荘は公経の子実氏(さねうじ)が伝領,後嵯峨上皇が2度にわたって御幸(ごこう)している。古代の吹田には皇室領の吹田御厨,山城醍醐寺末清住(せいじゅう)寺領の吹田荘があり,中世には奈良興福寺領吹田荘が成立。興福寺領吹田荘は,同寺の維摩会(ゆいまえ)料負担の荘園であったが,ほかに藤原氏氏長者の春日(春日大社)詣に際しての木柴夫や人夫役などの雑役(ぞうえき),さまざまな名目での小島荘役米を負担していた。応仁の乱が勃発すると,北摂は西軍大内氏によって侵略され,また吹田・茨木(いばらき)を中心に国人一揆が起こったため,興福寺の支配は有名無実となった。15世紀の末頃,吹田には手猿楽(さるがく)の一流がいて,京都で勧進猿楽を演じている。舟運の要地であることは近世に入っても変わらず,1582年10月,3ヵ条からなる禁制が羽柴秀吉(豊臣秀吉)から吹田津宛に出されており,徳川氏の時代になっても保護政策は続けられた。1594年の太閤検地の際,吹田村として高付けされ(村高3173石余),以後〈村〉として幕末に至るが,過書(かしょ)船の営業圏に含まれ,また商売屋が多く,在郷町に近かった。1908年吹田町となり,1940年同町を中核に吹田市が成立。
→関連項目吹田[市]

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大辞林 第三版の解説

すいた【吹田】

大阪府中北部の市。市の北部の丘陵地に千里ニュータウンがあり住宅地化が進む。金属・製紙・化学工業などが盛ん。万国博記念公園がある。

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精選版 日本国語大辞典の解説

すいた【吹田】

大阪府北部の地名。大阪市に北接する。中世、神崎川の河港として発展。明治時代にビール工場が設立されて工業都市となり、北部の千里丘陵に千里ニュータウンが開発されて後は住宅が急増、大阪市の衛星都市となる。昭和四五年(一九七〇)には日本万国博覧会の開催地となり、跡地は現在公園として整備され、国立民族学博物館、国立国際美術館などの施設がある。昭和一五年(一九四〇)市制。

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