大黒坂郷(読み)おおぐろさかごう

日本歴史地名大系 「大黒坂郷」の解説

大黒坂郷
おおぐろさかごう

きつね川の上流部に位置する。古くは北側の小黒坂こぐろさかと合せ黒坂と称されたと考えられ、鎌倉期に武田(石和)信光の子朝信はこの地に拠り黒坂氏を興した(甲斐国志)。応永二年(一三九五)一一月黒坂信光は聖応しようおう寺に寺領を寄進している(「黒坂信光寄進状」聖応寺文書)。四至は「東ハ法華寺横道檜木山は弥陀尾お境、南ハ大道南沢お境、北ハ大岩之峯尾お下真福寺立石烏帽子石、西ハ鼻前之石一之沢お境」とあり、現存する横田道よこたみち法華寺ほつけじ真福寺しんふくじ一の沢いちのさわなどの地名から、大黒坂を中心とする広域な寺領の範囲が把握できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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