法華寺(読み)ほっけじ

日本大百科全書(ニッポニカ)「法華寺」の解説

法華寺
ほっけじ

奈良市法華寺町にある真言律宗尼寺。古くは法華滅罪之寺(めつざいのてら)といい、また氷室(ひむろ)御所、比丘尼(びくに)御所などと称した。一説に、東大寺を総国分寺として女人の参拝を禁じたため、光明(こうみょう)皇后が父の藤原不比等(ふひと)の宅を移建して十一面観音(かんのん)を安置し、これを男子不入の国分尼寺としたという。のちに衰微したが、鎌倉時代に西大寺の叡尊(えいぞん)が再興、その影響により西大寺の末寺となった。その後、ふたたび衰微して阿閦(あしゅく)寺と称し、かつて光明皇后がこの寺に付属して設けた湯屋に至っては、まったく荒廃するに至った。1601年(慶長6)豊臣秀頼(とよとみひでより)母子により再建をみ、比丘尼御所として、近衛(このえ)家の息女が住持することとなり、現在の久我(こが)門跡に至っている。現在の本堂(国の重要文化財)は秀頼再建の建築。本尊の十一面観音木彫像(国宝)は平安初期の名作として名高く、光明皇后御影とされる。また維摩居士坐像(ゆいまこじざぞう)(国重文)、絹本着色阿弥陀(あみだ)三尊および童子画像(国宝)なども著名である。

石田瑞麿

『『古寺巡礼 奈良3 法華寺』(1979・淡交社)』

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精選版 日本国語大辞典「法華寺」の解説

ほっけ‐じ【法華寺】

[1] 〘名〙 奈良時代に設置された国分尼寺(法華滅罪之寺)の略称
[2]
[一] 奈良市法華寺町にある真言律宗の尼寺。天平年間(七二九‐七四九)光明皇后が父の藤原不比等の邸宅を寺に改めて創建し、総国分寺の東大寺に対する総国分尼寺とした。本尊の十一面観世音菩薩立像(木造)は光明皇后がそのモデルと伝えられ、平安前期(九世紀)の作で国宝。法花寺。法華滅罪之寺。氷室(ひむろ)御所。比丘尼御所。
[二] 中国の唐代、永州(湖南省零陵県)にあった寺。宋代には万寿寺、明代には高山寺といった。

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百科事典マイペディア「法華寺」の解説

法華寺【ほっけじ】

奈良市法華寺町にある真言律宗の寺。比丘尼(びくに)御所,氷室御所とも。国分尼寺の一つで,光明皇后の創立,法華滅罪寺と称した。本堂の本尊十一面観音立像(国宝)はヒノキの一木造で,平安初期の傑作。なお,各地の国分尼寺で法華寺を称する寺もある。
→関連項目国分寺(歴史)十一面観音南都七大寺

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「法華寺」の解説

法華寺
ほっけじ

奈良市法華寺町にある真言律宗の寺。氷室御所ともいわれ,また法華滅罪之寺ともいう。光明皇后が父藤原不比等の旧宅を改めて総国分尼寺として,悲田院施薬院を建てたことに始る。本堂は桃山建築であるが,国宝『十一面観音立像』は藤原期の傑作で,問答師の作品。光明皇后をモデルとしたと伝えられる。

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デジタル大辞泉プラス「法華寺」の解説

法華寺

奈良県奈良市にある尼寺。真言律宗に属したが1999年に独立、現在は光明宗。天平年間に光明皇后が父・藤原不比等の旧宅を寺に改め、総国分尼寺としたのが起源と伝わる。本尊の十一面観音像は国宝。豊臣秀頼と淀君が再建した本堂は国の重要文化財。庭園は国の名勝、旧境内は国の史跡指定

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デジタル大辞泉「法華寺」の解説

ほっけ‐じ【法華寺】

奈良市にある真言律宗の尼寺。天平年間(729~749)光明皇后が父藤原不比等の邸宅を寺として、総国分寺東大寺に対し、総国分尼寺として開いたもの。本堂は慶長6年(1601)豊臣秀頼の再建。本尊十一面観音立像は平安初期の作で国宝。法華滅罪之寺。氷室(ひむろ)御所。

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旺文社日本史事典 三訂版「法華寺」の解説

法華寺
ほっけじ

奈良市法華寺町にある真言律宗の尼寺
正しくは「法華滅罪之寺」という。奈良時代,藤原不比等邸跡に光明皇后が総国分尼寺として創建。貞観時代(859〜877)の木彫『十一面観音像』を本尊とする。

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世界大百科事典 第2版「法華寺」の解説

ほっけじ【法華寺】

奈良市にある真言律宗の門跡尼寺。正しくは法華滅罪之寺といい,氷室御所ともいう。藤原不比等の旧宅があった平城左京一条三坊の地に,光明皇后皇后宮が設けられ,745年(天平17)宮寺(みやでら)に改められたのが法華寺の始めと考えられ,大和国国分尼寺(国分寺)として漸次整備された。天平19年(747)1月の《正倉院文書》に法華寺の寺名が初見する。758年(天平宝字2)6月ころから光明皇后は当寺の南西の地に一院の建立を計画したが,760年に死去したため,計画を変更して皇后の冥福を祈るための阿弥陀浄土院が建立された。

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世界大百科事典内の法華寺の言及

【国分寺】より

…奈良・平安時代に諸国に置いた官寺。僧寺を金光明(こんこうみよう)四天王護国之寺(金光明寺),尼寺(国分尼寺)を法華滅罪之寺(法華寺)と呼び,合わせて国分二寺という。 国分寺制は,7世紀末より促進されてきた護国経典の読誦によって国家の安寧を祈る仏教政策の総仕上げであり,中央の大寺で展開した国家仏教の画一的な地方伸展の意義をもつが,直接的には律令体制の根幹をゆるがす疫病,飢饉,反乱などの災いを,《金光明最勝王経(最勝王経)》の鎮護国家の思想で消除しようと図ったものである。…

※「法華寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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