天保大判(読み)てんぽうおおばん

精選版 日本国語大辞典 「天保大判」の意味・読み・例文・類語

てんぽう‐おおばん ‥おほバン【天保大判】

〘名〙 江戸時代、天保九年(一八三八)から発行された長円形大判従来享保大判の増鋳という意味で他の金銀貨の改鋳とは無関係に鋳造され、「天保吹増大判」または単に「吹増大判」と呼ばれた。重量品位ともに享保大判と全く同じで、表裏に打刻されている各種の極印の少異によって区別されるにすぎず、市場の流通価値も全く同等に扱われた。

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世界大百科事典(旧版)内の天保大判の言及

【大判】より

…のちに徳乗の子栄乗が江戸で慶長大判を鋳造した。慶長大判についで,元禄8年(1695)には元禄大判がつくられ,その後享保10年(1725)に享保大判,天保9年(1838)に天保大判,万延1年(1860)に万延大判が鋳造された。最後の大判となった万延大判は,安政6年(1859)の開港以後,日本の金銀比価が外国にくらべて,金の価値が極端に低く評価されていたので,金銀比価の調整を目的として鋳造された。…

【天保金銀】より

…江戸時代,天保年間(1830‐44)に発行された金銀貨幣の総称。幕府は財政改革の目的をもって1837年に金銀貨の改鋳を行い,天保五両判,天保小判,天保一分金,天保丁銀・豆板銀,天保一分銀を造り,翌38年には天保大判を鋳造した。これらの天保金銀は文政金銀に比べて改悪されているが,天保大判のみは例外で,良質の慶長大判・享保大判と量目・品位とも同じものであった。…

【万延金】より

…江戸幕府はこれに対処するために万延の改鋳を行い,金銀比価を改定し,金貨の海外流出を阻止することに成功した。この改鋳により万延大判は天保大判に比べると量目が44.1匁から30匁に引き下げられ,品位も金67.7%から36.66%となった。万延小判は安政小判と品位は同一であったが,量目は2.4匁から0.88匁となり姫小判と呼ばれた。…

※「天保大判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」