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大判 おおばん

知恵蔵の解説

大判

35ミリ判」のページをご覧ください。

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

デジタル大辞泉の解説

おお‐ばん〔おほ‐〕【大判】

紙・帳面・書籍などで、普通のものより紙の寸法の大きいもの。「大判の日記帳」
安土桃山・江戸時代の大形の楕円形の金貨。表裏に「拾両」などと墨書し、通貨としてよりも賜与・贈答などに用いられることが多かった。大判金。→小判

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百科事典マイペディアの解説

大判【おおばん】

安土桃山・江戸時代の金貨幣の一種。原型は室町時代の無名(むめい)(無文)大判に求められる。江戸幕府は豊臣秀吉が鋳造させた天正大判にならい,1601年以降,慶長・元禄・享保・天保・万延などの各期に鋳造させた。
→関連項目後藤庄三郎

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世界大百科事典 第2版の解説

おおばん【大判】

安土桃山・江戸時代における金貨の一種。大判の原型は一般に室町時代の無名大判(無文大判)に求められる。これはユズリハの葉の形に似ているので譲葉(ゆずりは)金とも呼ばれた。ついで天正16年(1588)豊臣秀吉は京都の彫金家後藤徳乗に命じて天正大判を鋳造させた。徳川家康幣制の確立を重視し,関ヶ原の戦の翌年にあたる慶長6年(1601)には慶長大判・小判・一分金丁銀豆板銀の金銀貨を鋳造した。慶長大判の量目は天正大判と同じ44匁1分(165g)であった。

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大辞林 第三版の解説

おおばん【大判】

紙・本などの、普通より型の大きいもの。 「 -の画用紙」
安土桃山・江戸時代を通じて流通した楕円形の大形金貨。天正大判・慶長大判・元禄大判・享保大判・天保大判などがある。拾両と墨書されていたが、小判の10倍で通用したわけではなく、時代により価値は変動し、主として儀礼・贈答などに用いられた。大判金。
▽⇔ 小判

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大判
おおばん

安土桃山,江戸時代に通用した金貨の一つ。当初は長方形楕円形など形式も一定せず,極印書判もなかった。天正 16 (1588) 年豊臣秀吉が後藤徳乗に命じて鋳造させた天正大判は縦約 15cm,横約 10cmの楕円形で,中央に「拾両,後藤 (花押) 」の墨書がある。以後この形式が踏襲され,徳川氏も慶長6 (1601) 年の慶長大判 (→慶長金銀 ) 以下,元禄,享保,天保,万延の5種を大判座から発行させた。大判は一般に流通することは少く,賞賜,贈答などに用いられた。また大判の 10両は砂金の量目を表わし,必ずしも小判 10枚には相当しなかった。慶長大判は小判の約8両2分,享保大判は約7両2分にあたった。

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世界大百科事典内の大判の言及

【後藤徳乗】より

…後藤家は代々装剣金具の製作を家業とし,足利将軍家に仕えたが,足利家滅亡後,徳乗は織田信長,豊臣秀吉に仕えた。特筆すべきは,家業のほかに大判金と金銀を測る天秤の分銅を製作したことで,同家の記録では1581年(天正9)信長から父とともに分銅大判役を命ぜられたと伝えている。信長没後も秀吉から引き続きこの役を与えられ,1591年4月には山城国の愛宕郡市原村,久世郡中村,葛野郡西院村に私領250石を永代不易に与えられる厚遇を得,やがて畿内各地に成立していた金屋,金吹きの業を独占掌握するようになった。…

※「大判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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