天水島村(読み)あまみずしまむら

日本歴史地名大系 「天水島村」の解説

天水島村
あまみずしまむら

[現在地名]松之山町天水島

越道こえどう川右岸に位置し、川を挟んで天水越あまみずこし村と接する。南へがんみね峠を越えて寺石てらいし(現中魚沼郡津南町)へ下る道は、北は浦田口うらだぐち村へ通じ、戦国時代末期より利用された。正保国絵図に高一二石余。天和三年郷帳では高二〇石五斗余、反別田一町六反余・畑屋敷八反余・山林三畝余・青苧畑四畝余で、漆木三本、家数一五。安永九年(一七八〇)新田検地では高三八石余。天明四年(一七八四)の大飢饉では、当時の宗門改帳(高橋仁太郎氏蔵)によると、一村人口三四〇人中四七人の餓死者を数え、天保八年(一八三七)には五八人の餓死者があったと記される。明治五年(一八七二)の戸数八七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報