日本大百科全書(ニッポニカ) 「天狗芸術論」の意味・わかりやすい解説
天狗芸術論
てんぐげいじゅつろん
武術諸芸の啓蒙(けいもう)入門書。全4巻2冊。1729年(享保14)刊、著者は佚斎樗山子(いっさいちょざんし)。版元は江戸本町三丁目西村源六と京都堀河錦(にしき)上ル町西村市郎右衛門。樗山はもと下総(しもうさ)(千葉県)関宿(せきやど)藩久世(くぜ)氏の家臣で、本名を丹羽(にわ)十郎左衛門忠明といい、高300石、旗奉行(はたぶぎょう)などを勤めたという。当時71歳。彼は文筆の才に恵まれ、兵学・武術のみならず、神・儒・仏の三教や、老・荘・禅などにも造詣(ぞうけい)が深く、江戸の文化人たちとも交流。軍書講談で知られる神田白龍子(かんだはくりょうし)の序に「天狗の妖言(ようげん)に託して刀法の正理を言ひ、後に兵馬諸芸の至理を談じて、遂に心気を充実するの論に帰して止(や)む。実に士人をして、その要道を知らしむ」とある。この書は評判がよく、版を重ねたらしく、版元の変わった1797年(寛政9)版では損傷した7葉の挿図が削除されており、また幕末の重版は、『武用芸術論』と改題し、もとの挿図の7か所に時勢向きの文章を新刻挿入し、前後をうまくつないでいる。
[渡邉一郎]