天蓋倉城跡
てんがくらじようあと
[現在地名]守門村高倉
高倉と西名新田の間、天ヶ倉山(四四一・一メートル)山上にある。西川右岸に迫り、頂上は削平され、尾根には空堀跡が残る。天正八年(一五八〇)頃は御館の乱の上杉景虎方の残党が立籠ったとみられ、同年三月二四日の桜井三助・佐藤平左衛門宛上杉景勝感状(別本歴代古案)に「如注進去月其元各以稼てんかくら乗気、敵数多討捕之由」とあって、広瀬衆の桜井氏・佐藤氏に対し、上杉景勝から感状が与えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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