天谷直弘(読み)アマヤ ナオヒロ

20世紀日本人名事典 「天谷直弘」の解説

天谷 直弘
アマヤ ナオヒロ

昭和・平成期の経済評論家 (財)国際経済交流財団会長;電通総研社長・所長;元・通商産業審議官。



生年
大正14(1925)年8月31日

没年
平成6(1994)年8月30日

出生地
福井県福井市

学歴〔年〕
東京大学法学部政治学科〔昭和23年〕卒

主な受賞名〔年〕
石橋湛山賞(第4回)〔昭和58年〕

経歴
昭和23年商工省(のち通産省)入省。通商政策局国際経済部長、基礎産業局長、資源エネルギー庁長官などを経て、54年8月から56年6月まで通商産業審議官を務めた。この間、官房企画室長時代に“1970年代の通商産業政策”をまとめ、“知識集約型産業構造”の造語を定着させた。また56年の日米自動車摩擦問題では対米輸出の自主規制を導入し、貿易摩擦緩和に尽力した。退官後は貿易交渉などの経験豊富な国際派エコノミストとして活躍、59年6月国際経済交流財団会長、同年8月臨教審委員に就任。62年7月電通総研の初代所長となり、平成4年社長。「日本町人国家論」「日本株式会社・残された選択」「坂の上の雲と坂の下の沼」「漂流する日本経済」「叡智国家論」などの著作がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天谷直弘」の解説

天谷直弘 あまや-なおひろ

1925-1994 昭和後期-平成時代の官僚,評論家。
大正14年8月31日生まれ。昭和23年商工省にはいり,通産省基礎産業局長,資源エネルギー庁長官をへて,54年通産審議官。知識集約型産業の育成をはかる。国際派エコノミストとして「町人国家論」などを提唱。62年電通総研初代所長。平成6年8月30日死去。68歳。福井県出身。東大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「天谷直弘」の解説

天谷 直弘 (あまや なおひろ)

生年月日:1925年8月31日
昭和時代;平成時代の経済評論家。国際経済交流財団会長;電通総研社長・所長
1994年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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