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天野桃隣 あまの とうりん

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美術人名辞典の解説

天野桃隣

俳人。通称藤太夫。号は太白堂・桃翁等。芭蕉の甥とも伝えられる。芭蕉の3回忌は法要のみで満足せず、奥の細道の足跡をたどり『陸奥鵆』を著した。享保4年(1719)歿、81才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

天野桃隣 あまの-とうりん

?-1720* 江戸時代前期-中期の俳人。
松尾芭蕉の従弟(いとこ)とも,朋友(ほうゆう)ともいわれる。元禄(げんろく)4年芭蕉にしたがって江戸にでて点者(判者)となる。芭蕉三回忌には「陸奥鵆(むつちどり)」を,十七回忌には「粟津原」を刊行した。桃林堂蝶麿と同一人とする説がある。享保(きょうほう)4年12月9日死去。伊賀(いが)(三重県)出身。通称は藤太夫。別号に太白堂(初代),桃翁,呉竹軒など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

天野桃隣

没年:享保4.12.9(1720.1.18)
生年:生年不詳
江戸前期の俳人。享年は70歳余か。別号は太白堂など。伊賀国(三重県)上野の人。各務支考の言によれば松尾芭蕉の従弟だという。15年ほど大坂で「利をいとひ遊民となつて」暮らしていたと自ら語っている。その後江戸へ出て,40歳を過ぎてから芭蕉の援助を得て俳諧師として独立した。その将来を危惧していた芭蕉が元禄7(1694)年に没し,後ろ盾を失ってからは次第に零落,晩年は惨めな暮らしであった。好色本作家の桃林堂蝶麿と同一人物であるとする説がある。<参考文献>荻野清『俳文学叢説』

(田中善信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の天野桃隣の言及

【桃林堂蝶麿】より

…桃の林,桃隣堂ともいう。芭蕉門の天野桃隣の筆名とする説とそれを否定する説がある。1695年(元禄8)ころより1705年(宝永2)にわたり,江戸で《好色赤烏帽子(あかえぼし)》(1695),《好色美人角力(ずもう)》(1696)など10余の浮世草子を発表。…

※「天野桃隣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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