改訂新版 世界大百科事典 「桃林堂蝶麿」の意味・わかりやすい解説 桃林堂蝶麿 (とうりんどうちょうまろ) 江戸中期の浮世草子作者。桃の林,桃隣堂ともいう。芭蕉門の天野桃隣の筆名とする説とそれを否定する説がある。1695年(元禄8)ころより1705年(宝永2)にわたり,江戸で《好色赤烏帽子(あかえぼし)》(1695),《好色美人角力(ずもう)》(1696)など10余の浮世草子を発表。多くは筋を性交場面に導き,時に挿絵に春画を加える。上方の好色物流行の風を受け,菱川派の浮世絵師との提携の下に成った作である。執筆者:長谷川 強 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桃林堂蝶麿」の解説 桃林堂蝶麿 とうりんどう-ちょうまろ ?-? 江戸時代前期の浮世草子作者。元禄(げんろく)8年(1695)から宝永2年(1705)にかけて,江戸で「好色赤烏帽子(あかえぼし)」など十数冊の好色本をのこす。松尾芭蕉(ばしょう)の門人の天野桃隣と同一人物とする説がある。別号に桃隣堂,桃の林,紫石。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by