改訂新版 世界大百科事典 「太田犬丸名」の意味・わかりやすい解説
太田犬丸名 (おおたいぬまるみょう)
11世紀中ごろから12世紀初めにかけて大和国広瀬郡(現,奈良県北葛城郡河合町,広陵町)にあった国衙の収取単位としての名田の一つ。1046年(永承1)から1108年(天仁1)に至る間の25通の坪付帳が残っているが,1054年(天喜2)までのものは名田の結解状(収支決算書)であり,64年(康平7)から71年(延久3)までのものは東大寺大仏供御荘検注帳の形をとり,76年(承保3)以降のものは国検田帳である。太田犬丸というのは仮名であり,名田の租税納入責任者は大和の豪族山村氏であった。山村氏は宮廷楽所の舞人の家柄で,一族は多く衛府に出仕していた。太田犬丸名は山村氏の私領とされ子孫に分割相続されていくが,1064年以降この地が東大寺白米免田の一部にあてられ,東大寺白米免荘小東荘(こひがしのしよう)が成立したため,東大寺文書中にこの名田関係史料が多く残ることになった。
→小東荘
執筆者:泉谷 康夫
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