広陵町(読み)こうりようちよう

日本歴史地名大系 「広陵町」の解説

広陵町
こうりようちよう

面積:一六・六五平方キロ

奈良盆地西方、馬見うまみ丘陵東部に位置し、東は橿原かしはら市・磯城しき郡田原本町・三宅町に接し、西は香芝かしば町・上牧かんまき町、北は河合町に対し、南は大和高田市に連なっている。旧広瀬郡南部大半を占める。町域の中央部を葛城川高田たかだ川が北流、西部を馬見丘陵が南北に走る。鉄道は北部を近鉄田原本線が通る。

明治二二年(一八八九)四月一日町村制施行に伴い、広瀬郡の六村を併せて箸尾はしお村が、四村を併せて瀬南せなみ村が、六村を併せて馬見うまみ村が、二村を併せて百済くだら村が成立。同二五年二月一二日広瀬郡河合かわい村のうち大字さわ大野おおの寺戸てらどが箸尾村に編入

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広陵町」の意味・わかりやすい解説

広陵〔町〕
こうりょう

奈良県北西部,奈良盆地中部にある町。 1955年馬見町,瀬南村,百済村が合体して発足。 56年箸尾町を編入。東部は沖積地で,葛城川,高田川が天井川をなして北流し,西部は馬見丘陵に続く。米作のほか野菜,果樹を栽培。明治末期から靴下製造が行われ,国内屈指の生産量を誇る。東部の百済に百済寺があり,特別史跡巣山古墳史跡牧野古墳がある。北部を近畿日本鉄道田原本線が通る。面積 16.30km2。人口 3万3810(2020)。

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