日本歴史地名大系 「太秦安養寺村」の解説 太秦安養寺村うずまさあんようじむら 京都市:右京区太秦安養寺村[現在地名]右京区太秦〈石垣(いしがき)町・帷子(かたびら)ヶ辻(つじ)町・御所(ごしよ)ノ内(うち)町・垂箕山(たるみやま)町・西野(にしの)町・皆正寺(みなせいじ)町〉付近村域は太秦の西部、帷子ノ辻付近から南にかけてと思われるが、正確な範囲比定は困難。近世を通じて村高は三三五石余であるから、太秦の中では中位の村であった。北は太秦門前、西は生田(おいた)・高田、南は東梅津(ひがしうめづ)、東は太秦中里(うずまさなかざと)の各村に接する。村名は、推古天皇の時代にこの地に建立されたという安養寺に由来。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by