改訂新版 世界大百科事典 「太虚大師」の意味・わかりやすい解説
太虚大師 (たいきょたいし)
Tài xū dà shī
生没年:1890-1947
中国,現代の仏教改革の指導者。俗姓は呂,名は淦森。浙江省崇徳県の人。16歳で出家し,寧波(ニンポー)の天竜寺の寄禅和尚を師として受戒,清末改革派の著作に深く感銘して仏教救国を志し,のち革命派とも往来,1912年南京に中国仏教協進会を組織した。14年普陀山の錫林禅院にこもって,天台・華厳・法相・禅・律・浄土・密・三論の八宗を兼学して八宗平等の考えに達し,17年章炳麟ら在家仏徒と覚社を組織し,月刊《覚社叢書》(のち《海潮音》と改題)を刊行。22年欧陽竟无(おうようきようむ)の支那内学院に対抗して設立された武昌仏学院に迎えられ,新仏教運動の中心となる。没後,遺著が編集され《太虚大師全書》(1950)が香港で出版された。
執筆者:坂出 祥伸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報